義経一行の伝説、瓶割坂へ!
弁慶坂の特徴
近くの瓶割坂は義経一行に由来がある坂です。
登り切ると神明宮の境内に出る立地です。
石垣が美しく、歴史を感じる細い道があります。
階段上がると神明宮の裏側に着きますがフェンスがあり中には入れないようになってます💧
金沢には名前の付いた坂が多いです。
歴史の産物らしい急な坂。
近くの瓶割坂は、義経一行が通った時に瓶が割れたことに由来する。ということは、この坂も弁慶が通った可能性はある。
登り切ると、神明宮の境内に出ます。そこには大きなケヤキの木に出会えますよ!
近くの瓶割坂は、義経一行が通った時に瓶が割れたことに由来する。ということは、この坂も弁慶が通った可能性はある。ポセイドン・石川さんのMVあんたがたどこさや映画ゼロの焦点で使われた場所でもある。
石垣が美しい細い道。ここから見える雨宝院が美しい。
| 名前 |
弁慶坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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金沢の野町にある弁慶坂(べんけいざか)、別名は瓶割坂(かめわりざか)と呼ばれていて、この坂にはちょっと面白い伝説が伝わっている。源義経が兄・頼朝に追われて奥州へ逃れる途中、金沢付近を通った時の話だ。義経の奥方が突然産気づき、急な出産に慌てて衣類などが入った瓶を取り出そうとして瓶を割ってしまったことから、「瓶割坂」の名前がついたらしい。その時に瓶を割ったのが弁慶だったとも義経本人だったとも伝えられているけど、弁慶が関わったことから「弁慶坂」としても知られるようになった。ただ、この伝説には少し疑問があって、史実的には義経一行が通ったとされる経路とは微妙に異なっている。実際の歴史を調べると、別の地域の義経伝説が金沢に持ち込まれて定着した可能性があるようだ。江戸時代にはすでにこの逸話が広く知られていて、『三州名蹟志』や『金澤古蹟志』といった古い地誌にもちゃんと記録されている。義経と弁慶の実際の足跡とは違っても、地元ではよく語られている有名な話だ。坂の場所は犀川大橋の南詰、野町広小路に続く道で、かつては弁慶でさえもよろめくほど険しい坂だったらしいが、今は車も楽々通れるほど緩やかに整備されている。昭和の初期には、この坂を青電車と呼ばれた市電が行き来していたが、坂道が急すぎて特別に4基ものモーターを搭載していた車両もあったというエピソードも残っている。1970年代後半には道路拡幅工事が行われ、今見るような広い通りになったというわけだ。面白いのは、現在使われている舗装道路の脇に石段の旧道が残っていて、これこそが元々の「弁慶坂」だったという話だ。地元の史料『サカロジー』によると、この本来の弁慶坂の隣には「小便坂」なんて名前の坂もあったらしい。歴史が深い地域だけにユニークな話もいくつもあるようだ。坂の上部は「寺町台」という地域で、加賀藩の時代から多くの寺院が集められている。弁慶坂の上にある神明宮はこの地域の産土神で、境内には樹齢1,000年を超える大ケヤキもある。その歴史ある神社では、毎年あぶり餅神事という300年以上続く祭事が行われるなど、地元の信仰や文化と深く結びついている。また、この神明宮は詩人・中原中也が幼少期に境内で見たサーカスの光景を基にした有名な詩「サーカス」が生まれた場所でもある。坂の麓はにし茶屋街という金沢三茶屋街の一つで、江戸時代から続く花街。今も当時の情緒ある建物や路地が残っていて、多くの観光客が訪れている。坂道は城下町金沢の賑やかな片町方面とにし茶屋街、そして寺町エリアをつなぐ重要な道として長年使われてきた。さらに坂の上付近には、通称「忍者寺」として知られる妙立寺(みょうりゅうじ)があり、藩政時代の防衛のために作られた数々の仕掛けが観光スポットとして人気を集めている。このように弁慶坂の周辺は、伝説だけでなく様々な史跡や文化財が集まっていて、金沢の歴史と魅力をたっぷりと感じられる地域となっている。現代になっても地元の人々はこの弁慶坂の名前を大切にしていて、野町広小路の商店街では通りの愛称を「かめわり坂通り商店街」として地域振興に活用している。伝説の説明板や案内板も設置されていて、地元の人だけでなく観光客にも坂の由来や面白さが伝わる工夫がされている。伝説と史実が交差する金沢の弁慶坂は、ただの坂道を超え、土地の歴史や文化を凝縮したスポットとして、訪れる人を楽しませているようだ。