山木の歴史を感じる、香山寺の美しさ。
香山寺の特徴
平安時代末期の山木兼高の代官屋敷跡に建つお寺です。
美しい本殿前からの山木町並みの眺望が魅力です。
源頼朝挙兵の歴史と山木兼隆の供養塔が訪れる人を引きつけます。
御朱印拝受に伺いました。雨でしたが、快く対応いだき有り難うございました。
本殿前から見る山木の町並みが良い眺めでした。
韮山城、江川邸から歩いてまわれる所。頼朝蜂起、最初の地。
山木兼隆供養塔有り三日平氏の乱で蜂起した伊勢本拠平信兼の息子源頼朝旗揚の際討ち取られたのが有名供養塔は新しく当時の物では無く、大河ドラマ草燃えるの説明板が40年前の視聴率平均20%のブームの名残駅からここまで歩くのはやや遠いですが源氏側の史跡ばかりでは飽きるのと絶対数が少ないので此方まで歩くのも一考。
お手入れが行き届いてとてもきれいで歴史のあるお寺です。ご住職がとても良い方です。御朱印いただけます。
香山寺は、治承4年(1180年)源頼朝挙兵時に、頼朝の監視役としてこの地を治めていた事から、真っ先に標的となり討ち取られた伊豆国目代・山木兼隆の館が在った場所と云われています。その後、室町幕府初代将軍・足利尊氏の祖父足利家時や北条早雲、徳川家康の異母弟・内藤信成等の庇護の下、荒廃と再興を繰り返し現在に至っています。香山寺境内には、『山木兼隆供養塔』や兼隆室の持念仏・薬師如来坐像が残されている他に、明治時代初期に韮山代官所であった江川邸に韮山県庁が置かれた時の門であったアーチ型の石造り門が残されています。
香山寺は、源頼朝公が源氏再興の挙兵をした際に、最初の標的とされた山木兼隆が建立した寺です。境内に、山木兼隆供養塔があります。山木兼隆が建立した折の開山和尚は不明ですが、その後、鎌倉の報国寺開山の天岸慧広が足利家時を開基として開き、その後、韮山城に居を構えた北条早雲が中興したと云われています。また、香山寺の門は、韮山代官所であった江川邸に韮山県庁が置かれた時の門であったアーチ型の石造り門が残されています。昔も今もその昔も韮山を代表するお寺のようで、とても立派な本堂に驚きます。また、本堂からは、蛭ケ小島の辺りまでよく見えます。
山門がユニークです。韮山県庁時代の正門の移設とか風情が有ります。なだらかな坂を登り、キレイに整備され時節柄紫陽花の花が目移りする程咲き始め目の保養になります。登り切ると広い境内、なれど周辺部には過去いくつかの住居跡の平地が点在、ここが頼朝群勢に急襲された伊豆の目代山木兼隆の館跡なのか,しばし感傷に浸る。
ここは私の親戚のお墓です。いたずらしたら呪われます。
名前 |
香山寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
055-949-2905 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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平安時代末期の 山木 兼高 代官屋敷跡です。小高い丘の上にあり 韮山近辺を見渡すことができます。