富士山本宮の隣、伝説の神社。
福石神社(元城町福石神社)の特徴
交差点の横に位置し、アクセス抜群な神社です。
溶岩の石の上に鎮座し、独特な存在感があります。
富士山本宮浅間大社の隣にあり、歴史的背景も魅力的です。
★親の願いを託した捨て子の儀式『神の申し子』★正式には福石子育神社風習『神の申し子』子供が早死にした家は次に産まれた子を丈夫に育てたいとして一旦この神社前に捨てにいきました捨てられた子は神社に拾われ元の家に「くれてやる」と言う形で戻されたそうですそうして戻された子は元気に育つと信じられていたとの事ですこの茶番は大正時代までされていたようですが、子供を亡くした親にとっては次こそはと藁をもつかむ気持ちだったんでしょうね【御祭神】大己貴命/オオナムチノミコト大黒様とも言われる大国主オオクニヌシの別名地上を統べる神として出雲大社に祀られている神様です猿田彦命/サルタヒコノミコト天狗のモデルともされている大型で鼻の長い神様日本神話において風貌がはっきり描かれているのはこの神様くらいだとされているそうです天の神様を地上へ道案内したことから導きの神として崇められています磐長姫命/イワナガヒメ富士山の女神、木花之佐久夜毘売コノハナサクヤヒメの姉神サクヤ姫は絶世の美女とされていますが、イワナガ姫は超絶不細工とされ、その容姿から嫁に出されても即効返却されたと言う声を掛けづらい経験を持っておられます一方で長寿の神様でもあることから『神の申し子』の儀式はこの女神に由来しているとも言います【御由緒】江戸後期の『駿河記』で「福石明神社 公文家の持なり」と記されていることからも、元は浅間大社の社人だった公文富士氏が、その屋敷神として奉斎したものが起源とされており、社号は境内にある溶岩が由来と考えられています中世、近隣に大宮城という城があった頃には、社号のめでたさや大己貴命が祀られていることから月に6回の定期市である六斎市の守り神として敬われました文化10年(1813)聖護院宮盈仁法親王が「福石子育市大明神」を揮毫(きごう:筆で文字を書くこと)しており、文政3年(1820)将軍家の安産祈祷を行っています社殿は昭和34年台風により倒壊翌年に本殿を、39年に拝殿が再建されましたその後平成22年に拝殿を再造営し、区民館を兼ねるようになりましたまた今はありませんが50年ほど前に境内の大イチョウの木からマリシテンと呼ばれる40cmほどの木像が出てきました目をむき憤怒の形相凄まじいその神様は護身勝利のご利益があるとされ相撲の巡回がくると力士は必ずここに参拝にきたそうです駐車場:区民館駐車場が1,2台分御朱印:見当たりませんでした。
木花咲耶姫の姉神の磐長姫を祀る神社との事で浅間神社参拝の折には必ず参拝しています。ですがコミュニティ センターの城山区民館と同建物で開いている事があまりなく、寂しく感じます。
交差点の横です。
溶岩の石の上に鎮座しているようです。富士山の溶岩でしょうか。公民館みたいな社殿です。
富士山本宮浅間大社の隣にある氏神さま。御神木もなくなってしまい拝殿も新しくなってしまっているので、本殿以外はあまり神社という感じではありません。
| 名前 |
福石神社(元城町福石神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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