手取川を越えて源平島へ。
泉鏡花 一景話題より「夏の水」 松任より柏野水島などを過ぎて、手取川を越ゆるまでに源平島と云う小駅あり。里の名に因みたる、いずれ盛衰記の一条(ひとくだり)あるべけれど、それは未だ考えず。われ等がこの里の名を聞くや、直ちに耳の底に響き来るは、松風玉を渡るがごとき清水の声なり。夏の水(げのみず)とて、北国によく聞ゆ。 春と冬は水湧かず、椿の花の燃ゆるにも紅を解くばかりの雫もなし。ただ夏至のはじめの第一日、村の人の寝心にも、疑いなく、時刻も違えず、さらさらと白銀の糸を鳴して湧く。盛夏三伏の頃ともなれば、影沈む緑の梢に、月の浪越すばかりなり。冬至の第一日に至りて、はたと止む、あたかも絃を断つごとし。 周囲に柵を結いたれどそれも低く、錠はあれど鎖さず。注連引結いたる。青く艶かなる円き石の大なる下より溢るるを樋の口に受けて木の柄杓を添えあり。神業と思うにや、六部順礼など遠く来りて賽すとて、一文銭二文銭の青く錆びたるが、円き木の葉のごとくあたりに落散りしを見たり。深く山の峡を探るに及ばず。村の往来のすぐ路端に、百姓家の間にあたかも総井戸のごとくにあり。いつなりけん、途すがら立寄りて尋ねし時は、東家の媼、機織りつつ納戸の障子より、西家の子、犬張子を弄びながら、日向の縁より、人懐しげに瞻(みまも)りぬ。
名前 |
夏の水 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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泉鏡花 一景話題より「夏の水」松任より柏野水島などを過ぎて、手取川を越ゆるまでに源平島と云う小駅あり。里の名に因みたる、いずれ盛衰記の一条(ひとくだり)あるべけれど、それは未だ考えず。われ等がこの里の名を聞くや、直ちに耳の底に響き来るは、松風玉を渡るがごとき清水の声なり。夏の水(げのみず)とて、北国によく聞ゆ。春と冬は水湧かず、椿の花の燃ゆるにも紅を解くばかりの雫もなし。ただ夏至のはじめの第一日、村の人の寝心にも、疑いなく、時刻も違えず、さらさらと白銀の糸を鳴して湧く。盛夏三伏の頃ともなれば、影沈む緑の梢に、月の浪越すばかりなり。冬至の第一日に至りて、はたと止む、あたかも絃を断つごとし。周囲に柵を結いたれどそれも低く、錠はあれど鎖さず。注連引結いたる。青く艶かなる円き石の大なる下より溢るるを樋の口に受けて木の柄杓を添えあり。神業と思うにや、六部順礼など遠く来りて賽すとて、一文銭二文銭の青く錆びたるが、円き木の葉のごとくあたりに落散りしを見たり。深く山の峡を探るに及ばず。村の往来のすぐ路端に、百姓家の間にあたかも総井戸のごとくにあり。いつなりけん、途すがら立寄りて尋ねし時は、東家の媼、機織りつつ納戸の障子より、西家の子、犬張子を弄びながら、日向の縁より、人懐しげに瞻(みまも)りぬ。