加賀国一宮、神聖な境内でのひととき。
石部神社の特徴
小松市の一宮、加賀国一宮としての由緒ある神社です。
田んぼの中に小高い境内、神聖な風景が広がっています。
弘仁14年に建立、加賀国総社の歴史を感じる場所です。
小松市の一宮です。御朱印は手に入れられませんでしたが、歴史を感じます。
御祭神は櫛日方別命とある。三輪君一族の神様。引仁14年(823年)越前国から分かれて加賀国ができた時、府庁がこの辺りにありその南にこの神社があり祀られていた。府の南にあった為、府南社と呼ばれていた。国司は毎月1日に加賀の主な神社8社を廻り参詣したが、当社を加賀国総社としてここを参拝することによって8社を廻る事にした。式内社。境内は発掘調査が行われていて立ち入り禁止エリアがあります。丹羽長重、加賀藩2代藩主の前田利常を初め歴代藩主が厚く敬い社殿の修繕費は藩が用意した。
こちらは無人になっているため、兼務されている多太神社の方で御朱印をいただきました。多太神社もとても由緒のあるお社でした。いただく御朱印は書置きのみで代金は300円です。
令和4年10月21日参詣11月19日にサイエンスヒルズこまつで開催された加賀立国1200年祭プレフォーラムの冒頭、小松市埋蔵文化財センター下濱貴子所長の発表によると、弘仁14(823)年に越前国から分国、全国の中で最後に建てられた加賀国における国府はどこか。まだ確定には至っておらず、文献や地名などから古代能美郡に属する国府周辺、現在の小松市古府町の石部(いそべ)神社周辺が古くからの有力候補地である。ただし、立国当初から能美郡に置かれたとする意見と北加賀の遺跡調査成果から加賀郡から能美郡へ移転したという二説がある。という内容でした。末尾には、現在、国府所在地は関連記事として10世紀前半に成立した『和名類聚抄』に記載と『為房卿記』寛治5(1091)年から能美郡とし小松市古府町石部神社周辺にする通説、大東急記念文庫本『和名類聚抄』に加賀国府の所在地が加賀郡とあることから、加賀国の国府所在地は立国当初は加賀郡にあったとする説がある。という註釈をつけていて、令和5年1月現在のところ国府所在地は確定には至らず、今後の発掘調査の報告が待たれます。梯川流域の洪水被害のため中断している神社境内の発掘がいつ再開されるかはまだ未定です。
加賀國総社、昔に白山比咩神社と加賀一宮を争ったというわりには少し寂しい。農村のはずれ、手水舎の水も出ておらず。かつての繁栄を思い図る痕跡は社地、神域がそれなりに広いというくらいです。小松市の職員らしき方々が調査に訪れていました。夏の洪水で調査が遅延したとか。調査中の遺跡?にブルーシートが掛けられていました。離れていますが加賀二宮、菅生石部神社は二宮の勢いを維持されています。
20220815 2点全国一宮の御朱印頂きに来ましたが、ここは御朱印帳には載っていない神社でした。人もおらず、御朱印も頂けませんでした。
加賀国府1200年に向けて、発掘調査中。国府時代?の礫敷発見。参道跡?この先に何があった⁉️どうしてその後、1メートル以上も埋められたのか❓謎は深まる。
一之宮の論社らしいのですが・・・ 經緯を讀むに、普通に總社ですね。現在は村社のやうな、ひっそりとした佇まひです。
加賀国一之宮との説がある神社です、あまり手入れされてはいないようですが、田んぼの中に小高い境内が見える風景は神聖な感じがしました。
| 名前 |
石部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0761-22-4089 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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石部神社(いそべじんじゃ)。石川県小松市古府町。式内社(小)、加賀国総社。旧郷社。【祭神】櫛日方別命資料によると、創祀年代は不詳。加賀国府の南に鎮座していることから府南社とも呼ばれた神社。『白山之記』によれば、「府南加賀立國之時始奉レ祀云々」とあり、加賀国が越前から分割された、弘仁14年(823)3月頃の創建という説がある。加賀国一宮とも考えられていた時期があり、白山社との間で一宮論争が起ったという。また、当社を加賀惣社とみる説もある。近世になり、船見山王明神ともよばれていたが、「船見」は、府南の訛り、「山王」は大物主神が祭神と考えられたことによる。現在の祭神は、櫛日方別命だが、大物主神とする説も有力。姓氏録には、「石邊公大物主命子久斯比賀多命後也」とあり、石辺氏の祖神を祀ったとも考えられる。鎮座地である船見山は、川の湾曲部に位置しており、前方後円墳と推測されているが、川が近すぎるのではないだろうか。とあります。