弘法大師の霊水、清泉で癒し。
弘法大師の霊水の特徴
弘法大師が水を求めた由緒ある場所です。
足を痛めたお坊さんの伝説が息づく静かなスポットです。
三谷町の自然に囲まれた絶好の環境で心安らぐ体験ができます。
何度も訪れている木場潟ですが、初めて弘法大師の霊水に来ました歩いて汗だくで水を腕にかけると氷水のように冷たくて気持ちよかったですペットボトルに入れて母がお風呂に入る時に入れてあげました静かにホッとしたひと時を過ごす事ができる場所でしたよ。
静かな自噴生水。
静かな所です。
足を痛めたお坊さんが、通りがかり水を所望、ここに井戸を掘りなさいと言い残し去って行かれたそうです。白山の伏流水が沸いています。
水を求めた弘法大師に水を給した老婆に対してここに井戸を掘りなさいと告げられ、水が湧いた場所(簡略)です。水は白山の伏流水と思います。
【三谷の由来と弘法の水の話】三谷町(サンダニマチ)の起源や町名の由来は定かではありませんが、西に木場潟を臨み南北に豊かな緑に囲まれた絶好の環境の地に古くから私達の祖先が住み生活を営んでいたことは疑いありません。加賀三代藩主前田利常が小松城にいた頃、小幡下野(七千石)小幡右京(千石)堀三郎兵衛(五百石)が邸宅を構えていました。寛永十九年(一六四二)の盆踊りに、利常の小姓が家臣の小姓二人と喧嘩をして殺害した事件があったほど、賑やかな盆踊りだったのでしょう。今から約二百年前の天明六年(一七六八)には草高は五三六石、他に山役、板舟櫂役、畳表役等の所得を年貢として納めていました。率は五割八分(58%)です。家数六十軒、五十一軒が百姓でその他は小作人等です。観帰寺門徒三七軒、本光寺門徒二二軒、残り一軒は長円寺門徒で人数は二七五人でした。明治十年(一八七七)には八三戸、四二一人。現在、平成一九年(二〇〇七)は世帯数一一四軒、三八五人となっています。【弘法の水の話(小松の昔話)】三谷の町は昔からどこを掘ってもかなけの強い水しか出んと難儀しておったと。ある夏の日、身なりの貧しい坊さんが疲れた足を引きずりながら三谷へやって来て一軒の家で『水を一口飲ませて下さらんか』と頼んだ。あまりのみすぼらしい姿に『ああ、お前さんにやる水はねえ』と追い払ったと、次の家も次の家でも断られ最後に村はずれの貧しい家で頼んだと。そこの家の婆さんが遠い向うの生水を汲んで来て飲ませたと。『ありがとう』と言ってもっていた杖を地面に突きさし『ここに井戸を掘るがいい』と言い残して立ち去ったと、言われた所を掘ってみたら美しい水が湧き出たので人々は『ああ、あの坊さんは弘法様やった』とうわさしました。今も涸れることなくこんこんと湧き出る水を『弘法様の水』と呼んで大切に守っています。 加賀地方史研究会 現地看板表記から。
| 名前 |
弘法大師の霊水 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
弘法大師之霊水は、弘法大師が加賀国を巡ったと伝えられる平安時代の伝承に由来し、小松市三谷町に湧く小さな清泉である。この霊水には、弘法大師(空海)が加賀の地を旅した際に水を乞い、困窮する村人のために杖で大地を突いて水を湧き出させた、という伝承が残る。ある暑い日、疲れた旅僧が水を求めて村を訪ね歩いたが、住民に断られ続けるなか、最後に一軒の貧しい家が遠くの水場から汲んできた清水を与えた。僧は感謝の意を示して杖を地面に突き、「ここを掘れ」と告げて去ったという。言われたとおりに掘ると、清らかな水が湧き出し、以後この泉は「弘法様の水」として語り継がれるようになったとされる。この話は『小松のむかしばなし』(1998年、民話グループ青垣編)にも収録されており、現地に設置された案内板にもその要約が記されている。霊水の現地は小松市三谷町の集落外れ、田園地帯の一角に位置する。住所は「小松市三谷町81」とされるが、これは民間の地図サービス等に基づく表記である。環境省が選定する「石川県の代表的な湧水」の一つに「弘法大師之霊水(こうぼうたいしのれいすい)」として正式に登録されており、所在地は「小松市三谷町地内」と記されている。現地には東屋風の小さな休憩所と、「弘法大師之霊水」と刻まれた石碑が整備されている。石碑には「のむごとに ただありがたき 弘法の恵みの水の とこしえに湧く」という和歌が記されており、これは霊水の恵みを詠んだものである。東屋の脇を下った先に石垣で囲われた湧水口があり、そこに小さな地蔵像が安置されている。水量は非常に少なく、地面に染み出すような湧出で、地蔵の足元にできた水たまりから水が流れ出している。水中に小魚が見られるという報告もあり、水質は安定しているようだ。周囲は掃除が行き届いており、地元の有志によって手入れされている様子がうかがえる。湧水は現在も枯れることなく湧き続けており、柄杓が置かれているが、飲用についての安全表示は確認できない。衛生上は煮沸して用いるのが望ましい。石川県には弘法大師にまつわる霊水が他にも存在する。たとえば小松市下大杉町には「弘法水」と呼ばれる湧水があり、林町の「生水」では不動尊が祀られ、眼病平癒の信仰が伝えられている。さらに津波倉町の「御生水」など、同市内には「弘法」や「生水」の名を冠した複数の湧水があり、いずれも清水に対する信仰がうかがえる。これらは環境省の「石川県の代表的な湧水」にも記載されており、弘法大師との関連を伝える口碑が残されている場合もある。一方、同市那谷町にある那谷寺の境内にも「不動明王の霊水」と呼ばれる湧水が存在する。那谷寺は真言宗の古刹で、弘法大師が当地を訪れたという伝承もあるが、三谷町の霊水との直接の関係は確認されていない。那谷寺の霊水は滝と不動尊を結びつけた信仰で知られ、霊水の信仰の多様性を示す一例である。弘法大師の霊水のように、「空海が杖を突いた場所から水が湧いた」という類型の伝承は、全国的にも多く存在する。これは水に乏しかった地域にとって、水の出現が生活に直結する奇跡であり、それを偉大な宗教者の力と結びつけて語る文化が根強くあったことを示している。加賀のこの霊水もその一例であり、空海の直接的な足跡を示す確実な史料は存在しないが、後世の人々がその徳を讃え、地域の信仰と結びつけてきた証左である。文化財指定の有無については、現時点では国・県・市いずれの告示にも本件の記載は確認できていないが、環境省の選定や地域での手厚い保存状況を見る限り、霊水は文化的景観の一部として機能している。整備された東屋や石碑、掲示板、水質検査書の掲示といった要素は、単なる自然水源ではなく、地域の信仰と生活文化が融合した象徴的存在であることを示している。この霊水を訪れると、伝承に描かれた老婆の善意と、旅僧の感謝がそのまま空間に息づいているように感じられる。水音はかすかで、流れる水の量もわずかだが、そこにこそ千年以上続く信仰の静けさが宿っている。石碑に刻まれた言葉のとおり、「のむごとに ただありがたき」水であると実感できる。訪れた際には、ぜひ静かに佇み、先人たちの思いに耳を傾けてみてほしい。