水戸藩士の歴史を感じる。
武田耕雲斎等の墓の特徴
武田耕雲斎等の墓は国指定文化財の史跡で、幕末の歴史を感じられます。
大河ドラマ青天を衝けにも登場する武田耕雲斎の逸話が深く刻まれています。
毎年10月に行われる例大祭で、水戸烈士を弔うイベントが開催されています。
音声案内のあるお墓。すぐ側に天狗党残党が監禁されたという鰊倉があるが早朝のためか近くには行けなかった。
国指定文化財の史跡です。明治維新目前の幕末。水戸のお侍様達が尊王攘夷を訴えて京都を目指すも、敦賀の地で捕らえられ厳しい処罰を下されたということです。こんなところに関東と北陸の繋がりがあるとは。現在、敦賀と水戸は姉妹都市となっているそうです。
水戸天狗党の党首、武田耕雲斎と水戸烈士の墓があります。尊王攘夷を唱え朝廷に志を訴えに行くも敦賀の新保で捕らえられ処刑されました。処刑後に葬られた場所がこちらになります。また、捕らえられた水戸烈士を閉じ込める為に利用された鰊蔵の一棟が移築され、水戸烈士記念館として利用されてます(訪問時は改装中でした)道路挟んで向かい側に武田耕雲斎を祀っている松原神社があります。
幕末の動乱の中、この地で水戸藩天狗党の353人が斬首された、という。6m四方の穴を5個掘り、斬首してそのまま首、胴体共に穴に落とし、穴いっぱいになったら土をかぶせて埋めたという。この盛土された墓所の下に今もその353人の遺体がそのまま埋まっている。その上に今自分がいる。と言う凄い所。その遺恨の魂を感じて、多少なりとも自身の生活の襟を正すことも必要ではないかと。
真田戦記武田耕雲斎等の墓福井県敦賀市2丁目9武田耕雲斎本陣跡福井県敦賀市新保27−301864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵します。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられました。幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺で353人が処刑されました。国史跡である「武田耕雲斎等の墓」は彼らが処刑後に埋葬された墓所です。1864年12月11日、水戸天狗党は木ノ芽峠を越えて、新保村に到着し、葉原村に陣どる加賀藩と対峙することとなります。しかし、交戦を望まない水戸天狗党は戦闘を避けようと加賀藩と交渉を重ねます。その交渉が行われたのが、武田耕雲斎本陣跡の建物です。
幕末に悲劇の最後を遂げた天狗党諸士の墓。史跡に指定されています。処刑されたのは西側にある来迎寺であるとか。明治維新となり彼らは名誉回復がされ官位が追贈されました。せめてもの慰めでしょうね。
元治2年(1865年)に発生した「天狗党の乱」によって、武田耕雲斎ら水戸藩天狗党員が処刑され、後に埋葬された墳墓です。昭和9年(1934年)12月28日に国の史跡に指定されました。
大河ドラマ「青天を衝け」、津田寛治さん演じる武田耕雲斎。耕雲斎等の墓の前に耕雲斎の像が有ります。大和田伸也さんの音声ガイドでの詳しい説明も聞く事ができます。
静かで雰囲気のあるところでした。車も止めやすいです。
名前 |
武田耕雲斎等の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.tsuruga.lg.jp/smph/sightseeing/culture/bunkazai_ichiran/kuni_kenshiteibunkaz.html |
評価 |
4.1 |
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幕末の水戸天狗党の墓所。武田耕雲斎のカッコいい銅像がありお墓もとても立派です。音声案内や案内板もあり綺麗に整備されています。実際は近くの来迎寺のお寺の裏にある六地蔵辺りで処刑されたと聞きました。北陸新幹線開業に向けて当時、天狗党を入れていた牢屋などが再現されるようで今後の観光地化に期待です。天狗党や幕末の歴史をもっとたくさんの方に知っていただける場所だと思います。