笹田源吾を偲び、心温まるひとときを。
らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓)の特徴
笹田源吾の供養を目的とした歴史的な史跡です。
武士の歴史を感じる静岡県袋井市の名所です。
高天神城に籠城した武田方の武士の物語が刻まれています。
雨がシトシトと降る寒い日でした。日本の歴史をもう一度考えながら、笹田源吾のお墓に合掌..... 日本人である事を誇りに思いました。
徳川家康と武田勝頼が争っていた時代、武田方の密偵として、木原集落の村民に捕まり討ち取られてしまった、笹田源吾という名の武士を供養したものです。
名前 |
らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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笹田源吾(篠田源五とも)は、高天神城に籠城していた武田方の武士でした。天正3(1575)年の長篠の合戦で武田方は大敗を喫し、遠江から勢力が退潮します。孤塁となった高天神城にあって腕に覚えのある侍であった笹田は、天正6(1578)年、徳川方を物見(偵察)のために城を出たところ、この木原の地で地頭の木原吉次に捕捉され、加勢した木原権現社の神職、鈴木久秀の二人に討たれたと伝わります。家康は二人の働きを嘉し、木原権現社はのちに70石の寄進を受けます。その後、村には悪疾が流行りまた災害に襲われました。人々は笹田や戦死した徳川・武田方の武者の霊の祟りと噂します。そしてその霊を慰めるため、地蔵像を建立し供養祭を行ったといいます。供養祭は木原大念仏という今に続く念仏踊りの始まりとなったと伝承されます。浜松の遠州大念仏という念仏踊りも、浜松城に攻め寄せ、犀が崖で落命した武田家の武者の霊を慰霊するためと伝承されていますから、なんらかの関連があるのでしょう。この地の地蔵像は、笹田の墓、もしくは供養のために建立したと伝わります。近くの長命寺にも、笹田源吾の供養塔が伝えられています。すでに450年近くの年月を閲した地蔵像は風化が激しいのですが、最近新たな地蔵菩薩が造立されました。今も、地域の人々に伝承は受け継がれています。