西郷の局ゆかりのお寺で参拝。
心造寺の特徴
遠江四十九薬師霊場の参拝にも最適な場所です。
江戸時代の1580年に開かれた浄土宗寺院です。
五社神社の隣で、目立つ立地にあります。
長くお付き合いのある御寺さんです。住職や奥様も親切で気さくな方で、檀家の相談や悩みも心寄り添って聞いてくださり、対応してくださいます。比較的駅から近くにあるので利便性は高いです。お墓が坂の上にある為、車椅子を押しながら上がっていくのは少し大変ですが、こちらにお世話になっていてよかったと思います。
先照山 心造寺は、徳川二代将軍秀忠の生母である西郷の局を開基として、江戸時代の1580年に開かれた知恩院末の浄土宗寺院です。御本尊は阿弥陀如来で、遠江四十九薬師霊場の第二十二番札所でもあります。西郷の局奉納による鉄灯籠が残されています。
何時もお墓のお掃除を定期的にしてくれるので、お墓のイメージも凄く明るいです。常に誰かがお参りしているように思います。本堂も毎日ピカピカにされていて、心が落ち着いてお参り出来ます。
母の実家のお墓があります。年に1回程度手を合わせに行きます。
五社神社の隣に位置し通りからも目立ちやすい。それだけに隣のマンションが気掛かりです、都会の波に洗われて切ない思いです。* 心造寺とは * 徳 川家康は1580(天正8)年7月に秀忠の産土神(産土神)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移した。そしてその北側の隣接地に開いたのが心造寺。開山は讃譽智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局。西郷局が奉納した鉄灯篭が寺宝として伝えられているが、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されている。★ 伽藍1958(宝暦8)年に完成した七間四面の本堂は1771(明和8)年に全焼、1775(安永4)年に同じ七間四面の本堂が再建された、しかし1945(昭和20)年6月の太平洋戦争中に空襲を受け消失してしまい、現在の建物は1951(昭和26)年に再建されたもの。境内には賀茂真淵の句碑が建てられている。「大空のはてなく広し霧の朝/賀茂真淵」 引用とても印象深い歴史を感じることが出来ました。
お庭が綺麗に手入れされ見ごたえのある大きな珍しい色の石などがあり。
気さくな、住職さんです。
きれいにされているお寺です。 靴を脱いで本堂にあがって参拝できる。
開基は西郷の局(徳川二代将軍秀忠の母)徳川家ゆかりのお寺。
名前 |
心造寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
053-452-8914 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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遠江四十九薬師霊場の参拝でお伺いしました。浄土宗のお寺で先照山心造寺といい、霊場第二十二番札所になります。心造寺の御本尊は阿弥陀如来です。徳川幕府初代将軍の徳川家康公の側室である西郷局(徳川秀忠の生母)の発願で、徳川家康は天正八年(1580年)七月に子秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移しましたその際に北側の隣接地に開いたお寺が心造寺です。開山は讃誉智眼上人で開基は秀忠の生母である西郷局です、西郷局が奉納した鉄灯籠が寺宝として伝えられているが太平洋戦争の空襲を受け伽藍が焼失した際に片方が失われ現在は一つだけ残されている、また恵心僧都の作と伝えられた御本尊の阿弥陀如来像もこの時に焼失した。現在の本堂は昭和二十六年(1951年)に再建された建物です、現在の御本尊の阿弥陀如来像もこの年にお迎えした像です。薬師霊場御本尊の薬師如来は、本堂内左側に祀られています。