墨染の桜、心清らかに。
深草山 墨染寺の特徴
墨染寺は、桜の名所として地元で親しまれています。
観光寺ではありませんが、荘厳な佇まいが魅力です。
墨染駅からすぐ近く、アクセスも便利な場所です。
3月末花曇 観光寺院ではない本来の地元為のお寺です。敷地は狭いけど立派な本堂があり手入れも行き届いたお寺さん 桜の季節は、墨染桜と言う特有の🌸がまだ2〜3分咲きですが、例年なら満開、多分4月の第一週がきれいでしょうね写真は、30日てす。
街中にある小さな日蓮宗の御寺さん。藤原基経を悼んで上野岑雄朝臣が詠んだ歌に応じて薄墨色に咲いたと伝わる桜が有ります。
京阪電車墨染駅から徒歩3分。墨染寺、初めて訪れました。実は"深草中島町"は私の学生時代の下宿先。お華、琴のお師匠さん宅、門で囲まれた美しいお庭のある家でした。ぼくぜんじは平安時代の歌人、上野峰雄(かんつけのみねお)が寛平3年(891)関白の藤原基経公の死を悼み「深草の延べの桜し こころあらば 今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、悲しみの薄墨色の桜が咲いたことが寺の名前の由来、別名"桜寺"と呼ばれる桜の名所となっています。かっては豊臣秀吉が再興した大きな寺院だったそうですが徳川の時代に凋落、縮小されて東側から現在の地へ移設、但し桜は引き継がれたそうで、現在の桜は4代目、悲しみも癒えて色も紅色に白らしい。成る程、桜木が多い。本堂には桜寺、となりには鬼子母神の扁額、境内には日蓮像、歌舞伎役者2代目、中村歌右衛門の寄進の手洗い石、墨染井も見えます。で、下宿先は?消えていた。そんなものはあるハズは無いと思った薄墨色の桜。有るように思えたわ😢
2023.04.05墨染桜寺、桜寺とも呼ばれる日蓮宗の寺院。境内に咲く墨染桜が寺号の由来で、この付近の地名、墨染の由来でもあります。肝心の「墨染桜」は2017年に3代目から植え継ぎ、現在は4代目で、まだ若木で小振りながら薄紅色の花を咲かせている。その他、八重桜、染井吉野、御衣黄が境内を彩る。
墨染寺(ぼくせんじ)は、境内に桜の木が多く、「墨染桜寺」や「桜寺」と呼ばれています。境内には、墨染(すみぞめ)の地名になった墨染桜の木植えられています。境内にあるソメイヨシノの木と比べると、大きさは小さい桜の木です。花びらが薄墨色をしているので、墨染桜と呼ばれるそうです。春の桜の季節には、境内が桜一色になり、桜まつりが開催されているそうです。タイミングが合えば訪れたいです。近くの疏水も桜一色になると思います。
丹波橋から旧奈良街道を北上し墨染通りを歩いてると墨染寺の案内板を見て気になってつい訪れ参拝しました。ここは874年に創建された貞観寺が起点となり、891年に藤原基経を偲んで上野峯雄が『深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け』と詠ったのがきっかけとなり墨染の名が誕生したと云われ、のち豊臣秀吉と姉の瑞龍尼は日秀を崇敬し土地を寄進し墨染桜寺を創建。のち衰退するも江戸期に現在地に再興され今が在るとお聞きしました。今は知る人は知る小さな境内ですが何代目かの桜が墨染の名を背負って春には花を咲かせています。
丹波橋から旧奈良街道を北上し墨染通りを歩いてると墨染寺の案内板を見て気になってつい訪れ参拝しました。ここは874年に創建された貞観寺が起点となり、891年に藤原基経を偲んで上野峯雄が『深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け』と詠ったのがきっかけとなり墨染の名が誕生したと云われ、のち豊臣秀吉と姉の瑞龍尼は日秀を崇敬し土地を寄進し墨染桜寺を創建。のち衰退するも江戸期に現在地に再興され今が在るとお聞きしました。今は知る人は知る小さな境内ですが何代目かの桜が墨染の名を背負って春には花を咲かせています。
目的地に行く途中に下車した京阪電車の駅名と同じ名前のお寺があったので立ち寄ってみました。日蓮さんのお寺なのですね。桜の季節で先客の方も数名おられました。「4代目墨染桜」は清楚な佇まいで、周りのソメイヨシノのような華やかさはないものの、遥か平安時代から、諸時代を乗り越えて受け継がれてきた芯の強さのようなものを感じさせてくれました。もし次回機会があれば、鬼子母神のお堂にも入ってみたいと思いました。
満開の桜がライトアップされてプチお花見堪能しました😊駅近お花見出来ました。
| 名前 |
深草山 墨染寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-642-2675 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
墨染駅からすぐのところにあるこぢんまりとした日蓮宗のお寺です。御会式法要のあとに寄席があるということを知り、今回初めて本堂にあがらせていただきました。寄席は大変楽しく大盛りあがりでした。ご住職のお話もありましたが穏やかでとても感じの良い方でした。なお読み方は「すみぞめ寺」ではなくて「ぼくせんじ」だそうです。