小学校隣にある歴史の碑、楽田城跡へ!
楽田城址の特徴
小牧長久手の戦いで秀吉の本陣があった歴史的スポットです。
楽田城は日本初の天守城として有名な魅力的な城跡です。
楽田小学校の隣に佇む落ち着いた雰囲気の碑が印象的です。
小牧長久手の戦で羽柴秀吉の陣所として有名な城ですが、ほぼ記念碑のみ。今年の大河ドラマで、今日リアルタイムでチラッと出ました。天守は隣の小学校の校舎の付近にあったそうですが、当然遺構は跡形もありませんでした。ただ、犬山城から小牧山城へ続く南北の連なる線上に位置し、羽黒城跡共々東側の山々に沿うように存り、広大な濃尾平野の防衛線として機能していたことが解ります。
尾張守護代・織田久長に築城されたとされ、この城の北には秀吉軍の羽黒城と池田恒興が奇襲をかけ占拠した犬山城があるほか、複数の砦が築かれていました。南には家康の本陣・小牧城があります。この城は小牧・長久手の戦いの講和条件として取り壊され廃城になりました。城趾は今、楽田小学校になっていて遺構は残っていません。小学校の正門の前に石碑と案内板があります。
織田久長によって築城されたとされています。現在は城跡は全くありませんが石碑があるのみです。楽田小学校の正門から出てすぐのところにあります。
標柱と説明板がありますが、遺構はありません。
《 日本初の天守城 》この辺は、道も狭いし、小学校の正門前ですし、丁度この碑の前に駐車車両があり、ムード無しです。色々試みてやっとこの写真を撮ったのですが💦歴史的遺跡ですので、駐車禁止でお願いします。☆☆天守構造:殿守二重(1558年築・非現存)主な城主t織田氏小牧・長久手の戦いで前線基地となり、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の部将であった堀秀政が入り、さらに秀吉自身も陣所としたという。戦後、楽田城は廃城となった。文献上最も古い「天守」:昭和55年(1980年)には天守台跡も運動場とするために撤去されている。現在では天守台跡から建造物としては移築した碑と土塁がわずかに残っているそう。
住宅街の中にある小さな小学校の脇にある 城跡です 城跡と言っても大きなお城ではなく小さな櫓のようなイメージだったと思いますが ポツンとある佇まいに情緒を感じます。
小瀬甫庵…「遺老物語(おきなものがたり)」、永禄元年/1558年に殿守(天守)と呼ばれる高層階の建造物が有ったと文献上に現れる最も古い城、城郭検定にも出題🤔歴史背景比較、1560年「桶狭間の戦い」の前❗以前訪問した時より少し整備された感じでした。
楽田小学校の敷地内横にあります。石碑があるだけです。詳細の案内板もありませんでした。歴史謎解きクイズラリーが出来る看板がありました(QRコードで読取り)
日本初の天守閣や、信長から離反した犬山城の織田信清の侵攻による落城や、信長方の奪還、小牧長久手の戦いにおいて秀吉の本陣になったりとの舞台になりました。現在は楽田小学校が建ち、建設の過程で遺構は消失していますが、小学校を囲む道路や住宅が堀跡の位置で城の地形はそのまま残っている様で、小学校が堀跡の道路や住宅街より3m程度高くなっており、周囲を歩くとよくわかります。他にも須賀神社の出丸?出曲輪?跡や北の門跡の碑や裏之門の碑が周辺にあります。小学校の南側は名の通りの田園が広がっており、内久保山砦 久保山砦 小牧山城などが綺麗に望めます。
名前 |
楽田城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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小牧長久手の戦いで秀吉の本陣があったところで有名ですが、現在ではひっそりと碑が佇むのみとなっております。