空海の歴史漂う地蔵尊。
矢取地蔵尊(矢負地蔵)の特徴
愛宕山大権現と彫られた常夜燈が目を引く境内です。
矢取地蔵尊の近くには平安京羅城門の記念碑があります。
空海の歴史を感じられる、興味深い場所であります。
伝説の有名な「お地蔵さん」その頃から有るのなら凄い事ですね。
大師も難を逃れられ、ありがたき地蔵尊我が身守り頂いてありがたや。
羅生門跡の石碑の横に有ります。
矢取地蔵尊様の御由緒です。昔の道しるべがあります。
空海の歴史をも感じられます。
★空海伝説の残るお地蔵さん近くの公園に平安京羅城門の記念碑がある。
空海が雨乞いで競ったというのが興味深い。
東寺と西寺の真ん中にある矢取地蔵尊九条千本、羅城門跡近くに矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)という小堂が建っている。矢負(やおい)地蔵とも呼ばれている。本尊は矢取地蔵尊を安置する。1885年、地蔵堂が唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立された。昭和期(1926-1989)初期、九条通の拡幅工事の際に、地蔵堂周辺から多数の地蔵が発掘される。地蔵尊は現在、地蔵堂脇に祀られている。矢取地蔵尊(160㎝)が安置されている。かつて、木像で背中に矢傷があったという。現在は石像で、右肩に矢傷の跡が残っているという。「伝説話」八二四(天長元)年、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。淳和天皇は空海と守敏に神泉苑(京都市中京区)で雨ごいを命じる。先に守敏が祈念したが、雨は降らない。対して、空海が願をかけると三日三晩にわたって雨が続いたという。「雨ごい合戦」は空海に軍配が上がった。しかし、守敏は腹の虫が治まらない。ついに空海を羅城門近くで待ち伏せて矢を放つ。その時、黒衣の僧が現れて身代わりに矢を受け、空海は難を逃れた。黒衣の僧は実はお地蔵さまの化身であり、後にそのお地蔵さまは「矢取地蔵」
東寺と西寺の真ん中にある矢取地蔵尊九条千本、羅城門跡近くに矢取地蔵寺(やとりじぞうじ)という小堂が建っている。矢負(やおい)地蔵とも呼ばれている。 本尊は矢取地蔵尊を安置する。1885年、地蔵堂が唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立された。昭和期(1926-1989)初期、九条通の拡幅工事の際に、地蔵堂周辺から多数の地蔵が発掘される。地蔵尊は現在、地蔵堂脇に祀られている。矢取地蔵尊(160㎝)が安置されている。かつて、木像で背中に矢傷があったという。現在は石像で、右肩に矢傷の跡が残っているという。「伝説話」八二四(天長元)年、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。淳和天皇は空海と守敏に神泉苑(京都市中京区)で雨ごいを命じる。先に守敏が祈念したが、雨は降らない。対して、空海が願をかけると三日三晩にわたって雨が続いたという。「雨ごい合戦」は空海に軍配が上がった。 しかし、守敏は腹の虫が治まらない。ついに空海を羅城門近くで待ち伏せて矢を放つ。その時、黒衣の僧が現れて身代わりに矢を受け、空海は難を逃れた。黒衣の僧は実はお地蔵さまの化身であり、後にそのお地蔵さまは「矢取地蔵」
名前 |
矢取地蔵尊(矢負地蔵) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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入口左側に「愛宕山大権現」と彫られた常夜燈、右側に「左 やわ多八幡宮 右 やなぎ谷観世音菩薩」と彫られた道標が建っています。