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名前 |
八幡稲荷社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.7 |
八幡信仰+稲荷信仰=八方神徳参拝すると突然の幸運が望めるかも。平安時代、伊冨利部(いふりべ)神社神域は、石清水八幡宮の荘園となっていました。そのため、伊冨利部神社には応神天皇も合祀されてます。応神天皇は、誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、中世の時代では源氏の氏神様として崇められ武士たちの間に広く人気がありました。そのため次第に『弓矢の神様』という武神的な色合いが強く、八幡信仰として根付いていきます。八幡信仰は、武運・出世に御神徳があると言われます。一方、稲荷信仰は、五穀豊穣・商売繁盛・子孫繁栄に神徳があると言われます。八幡稲荷社は、この2つの要素を併せ持ち、双方の御神徳が期待できる、八方向にご利益がある神様です。また、江戸時代当初期荘園主、石清水八幡宮は、尾張藩初代藩主、徳川義直を排出しておりこの地方と縁が深い寺社となります。====徳川家康と亀女====徳川家康が京都に出向いた際、行列の前を、たらいの中に子供をいれ走りさるたくましい娘を見かけます。徳川家康が話を聞くと、娘は16歳で、石清水八幡宮社務の分家に当たる正法寺・志水宗清の娘『亀女』と名乗ります。亀女は若くして竹越定右衛門に嫁ぎ、息子、正信をもうけましたが、夫と死別。16歳で寺にで戻っていたところだといいます。その話を聞いた徳川家康(53歳)は、亀女を側室に迎え、義直を出産義直は、尾張徳川家の初代藩主になり、この尾張地区を統治する立場となりました。亀女は、その後、義直のいる名古屋城で暮らしたといいます。==============心して参拝してください。この神社の八方神徳は、突然のラッキーを生んでくれるかもしれません。