日本唯一の葉栗郡式内社!
髙田波蘇伎神社の特徴
平安時代中期に編纂された延喜式に記載されている神社です。
日本で唯一の葉栗郡鎮座の式内社として新たに登録されました。
歴史的背景を持つ貴重な文化財として訪れる価値があります。
日本でここだけ!!大綜杵命を祀る髙田波蘇伎神社(たかだはさぎじんじゃ)延喜年代前の古社祭神は、応神天皇・大綜麻杵命(開化天皇の皇后:伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の父。物部氏の祖)と推測されています。社名は、祭神の大綜麻杵命(おおへそき)にまつわると思われ、由緒は定かではありませんでした。呼び名の、”はさぎ”もおそらく、祭神のへそきがなまったものではないかと思われます。大綜杵命を祀る神社は、ここ以外に見つけられません。では、大綜杵命とは、どんな人物でしょうか。父:大矢口命(おおやくちのみこと)母:坂戸由良都姫(さかとのゆらつひめ)の間に生まれ、高屋阿波良姫(たかやのあわらひめ)を娶(めと)っています。子は、二人おり、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)と伊香色雄命(いかがしこおのみこと)です。娘の伊香色謎命が開化天皇(第9代)の皇后となっています。祀人の奥さん高屋阿波良姫とは、尾張氏建田背(たけたせ)の弟で高屋大分国造の建弥阿久良(たけみあくら)の娘とされています。実は、この婚姻が物部氏にとって重要な転機となります。宮内では三島氏、尾張氏、物主家、天足彦の家系が権力をにぎっていました。物部氏は天皇家に后を出せる立場でもない状況でした。この婚姻で尾張と強く結びついたた物部氏は、開化、崇神、垂仁天皇の 時代、勢力を拡大させることとなります。時は下り、戦国時代、織田信長の所属、兼松修理亮(又四郎正吉:兼松清秀の子)も髙田波蘇伎神社に度々参拝した記録があるとのことです。
葉栗郡鎮座の式内社として、新規登録。物部氏の祖神を祀っており、当地付近まで物部系氏族の支配下であったのだろうか。
名前 |
髙田波蘇伎神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=115af7e0-a784-4ac1-88d8-ee492a86d982 |
評価 |
4.0 |
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平安時代中期に編纂された神名帳「延喜式」に記載されている神社、いわゆる式内社の一つです。創建は不明ですが、延喜式が編纂された時期には既にご鎮座していますので、千年以上の歴史を有する由緒正しい神社です。神社創建当初は物部氏の祖神にあたる大綜麻杵命(おおへそきのみこと)を主祭神としてお祀りしていたそうです。室町時代には神社が衰退し、現在の伊冨利部神社にご神体を移していた時期があるんだそうです。江戸時代初期に波蘇伎神社跡地に応神天皇をお祀りして八幡社になりましたが、明治時代に現在の社名に改称され現在に至っています。