神池の穏やかな水音を感じて。
真清田神社 神池の特徴
天火明命を導いた龍神が鎮座する神池です。
太古の昔からの歴史を感じさせる神秘的な場所です。
穏やかな水音が響く大きな池で心が落ち着きます。
結構大きな池。高い木がないためか広く感じます。鯉が泳いでいました。
[太古の昔、天火明命を導いた龍神が鎮座、見守り続ける神池の穏やかな水音]てっきり、最近作られたものだと思っていました。現在、コンクリート造となっている神池ですが、その歴史は古く、室町時代末期社頭景観と桃花祭りを描いた「真清田神社古絵図」にも見られる水池です。現在、この池の北面に○厳島神社○八龍神社が鎮座しています。八龍神社には、「降臨伝説」が残ります。八龍神は八つの頭と八つの尾を持つ大龍といわれ、真清田神社祀神である(天照大神の孫神)を真清田神社の森にお連れしたと言われる龍神様です。この神社の創建に携わる重要な存在です。【真清田神社創建】そもそも、真清田神社の歴史は神武天皇33年(紀元前628年)の時代に創建されたとの伝承が伝えられています。この近くには今伊勢古墳群が有り、古くから文化が根付いた地域といえます。【平安時代】記録的な初見は「続日本後紀」でそれによると承和14年(847)11月11日に新たに従五位下に加列した事が記載されており、その後平安時代に成立した「日本文徳天皇実録」「日本三代実録」に神階が昇進した事が列記され同じく平安時代に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として記載され尾張国一宮とされたようです。永万元年(1165)に編纂された「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮」との記載がある事から少なくとも平安時代後期には一宮として認識されていたようです。【鎌倉時代】池に横には、塀がありその向こうには、旧鎌倉街道があります。旧鎌倉街道は、鎌倉時代幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、その街道沿いに真清田神社は鎮座していたわけです。歴史ある境内に、今もこの神池があります。【江戸時代】真清探桃集には、慶長5年(1600)と慶長19年(1614)に徳川家康が真清田神社におとずれた記録も残ります。尾張藩初代藩主:徳川義直は寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。徳川幕府より神領として、朱印領333石を奉るなど徳川家に贔屓にされた神社です。【近代】現在の社殿は昭和20年(1945年)の一宮空襲で焼失したため、戦後、再建されたものです。昭和32年(1957年)に本殿・祭文殿・渡殿・拝殿・廻廊透塀・神饌所・社務所などが再建され、駅前商店街の復活にもつながりました。初詣や七夕祭りの日は、屋台もならび盛況を極めます。【現代】この神社では平日でも境内でコスプレをする人の聖地となっています。この神社は古くから尾張の「一の宮」として奉られてきました。一宮に次ぐ二宮は大縣神社(犬山市)三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされます。神社の位を表す「一宮」の名は、神社を中心に発達したこの地の名称として用いられるようになりました。この地には、神池がありそして、八龍神社が静かに鎮座します。その水音は、今もなお穏やかです。
名前 |
真清田神社 神池 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0586-73-5196 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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大きい池です。