長久手の戦い、耳の塚を訪ねて。
長久手古戦場耳塚の特徴
長久手の戦いに由来する歴史的な耳塚です。
首と耳を切り落とす行為の惨さを伝える史跡です。
国指定文化財の首塚に関する情報も重要です。
行き方が、分かりづらいです。南側?からいけました。
消防署の裏で、カフェ「ランプ」の隣に石碑が建っています。夏は草ボーボーで石碑が隠れてしまったので、冬に撮り直しました。長久手合戦天正12年(1584年)4月9日午前9時半頃から徳川家康・織田信雄の両軍と羽柴(後の豊臣)秀吉方の池田勝入(恒興)・森長可の両軍により、現在の仏が根付近で3時間余りに繰り広げられた戦いである。徳川軍に押すに押されて、池田・森軍は最終的に現在の長久手小学校付近の中島、溝添、中縄手まで敗走した。池田・森軍が最後を迎えた場所である長久手小学校の裏手当たりの東西数百メートル余りの池に、合戦で戦死者を埋葬した小高い丘が作られた。この塚が後に草塚となり、『尾張名所図会』には「百八塚」として、石作神社の南側に多くの塚が有ったと書かれている。合戦にあたり、徳川家康が戦いに勝利した際には、敵側の片耳を削ぎ取り、持参させて、後日勲功の証とせよと指示した。その削ぎ取られた討死者の耳を埋めて供養した塚が耳塚であるとの言い伝えがある。(説明板による)
首を切り落とすだけでは あきたらず耳迄切り落とすとは・・・ 本当に惨い。
長久手の戦いに因む史跡といわれていますが詳細は不明(他方、はっきり長久手の戦いに因む史跡である「首塚」の方は国指定文化財とされています)。昭和3年の地震で崩れてしまったようで、修復により岩同士がしっかりコンクリートで固められています。手前の岩に盛られている花崗岩のような白い石は耳の山を示しているようで、少々不気味。耳の悪い方が祈れば平癒するとの言い伝えもあるようです。喫茶店らんぷの裏側にあります。喫茶店に立ち寄った際郷里の史跡に足を伸ばして見てはいかがでしょうか?
| 名前 |
長久手古戦場耳塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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『小牧・長久手の戦い』での討死者の耳を葬った塚。解説によると徳川軍が戦功の証として耳を削ぎ取り、供養として築かれたと言い伝えられている。