弁慶の足跡、泡浮かぶ鴎島。
弁慶の足跡の特徴
潮が満ちると、足跡には泡が浮かび幻想的です。
鴎島でのウォーキングは見晴らしが良く心地よい体験です。
伝説の弁慶がつけた巨大な足跡が圧巻です。
ちょっと歩く場所ですが、中々絵になる景色でした。昔の方のネーミングセンスの良さを感じました。
潮は満ちてたけど浅かったので分かりました。2021.7.6
結構歩きますが、見晴らしが良いです。鴎島は義経伝説の残る場所です。余談ですが、「江差追分」の旋律は鴎島の義経伝説のひとつから出来たものと云う話があります。
潮が満ちてきても弁慶の足跡には、波が引くときに多数の泡が浮かび上がります。そのため、その場所はすぐにわかります。
足あと巨大すぎ。すごいぜBK(弁慶)
鴎島ウォーキング良かったです。
📖弁慶の足跡義経一行は江差に第一歩を踏み入れたのが鴎島で、この時弁慶によって大きな穴が2つあいた。馬岩の後ろの島の登り口左手にある洞窟は、弁慶が義経から預かった六韜三略の巻物を隠した場所📖弁慶の力岩(1)昔、白い灯台の下の中腹には瓶子岩に匹敵するような形と大きさの岩があった。これは江差で義経のお供をしていた弁慶が、この地で本州から届けられる情報を待ちながら仲間と一緒に戦時に備えてトレーニングした時に、力比べをし、巨岩をそこまで運んだものだから『弁慶の力岩』と呼ばれていた📖弁慶の力岩(2)島陰で小舟を操りながら漁をしていた二人の漁師が言い争いをした。「あの巨岩は弁慶が運んだ物だから根が付いていないのだ。だから、大きな力が働けば動くのだ。嘘でないって、おら昔から親爺に教えられていたもんだ」「そんな馬鹿な話、誰が信じるってよ、根が付いて動くわけないてば…」どちらにも軍配のあげられるものではなかった。1934(昭和9)年、函館大火の日、激しい波が鴎島の中央部を越えてきた。その巨岩が波にさらわれた。以来、同じように鴎島の中央部を波が越えたのは、20年後の洞爺丸台風の時だけだった。
伝説で、弁景がつけたという足跡です。足跡の近くには行けず、島の上から見ます。満ち潮になると隠れてしまいます。
| 名前 |
弁慶の足跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2025·R7.8.8初訪問です。最初に···悠久のロマンを受け止める広い心で眺めて、"何だこれ"と思う気持ちはそっと横に置いてください。鴎島の左の羽根のまん中辺沖側の少し湾のようになってる手前の岩盤部分で、義経を待ち続ける馬岩の裏側にあたります。荒海に面した方にちょうど“わらじ”で踏んだような跡があります。これは"弁慶の足跡"だといわれています。その背後で島の上り口の少し右手の方に大岩の鍾乳洞のような洞窟があるが、これがまた弁慶が義経から預かった兵法の極意を記した『六韜三略(りくとうさんりゃく)』の巻物を隠したところだと云われ、いずれも馬岩を中心とする義経伝説を補強する形で言い伝えられています。さらにまた、白い灯台の下の中腹に昔はちょうど瓶子岩に匹敵するような形と大きさの岩がありました。これは江差で義経のお供をしていた弁慶が、この地で本州から届けられる情報を待ちながら仲間と一緒に戦時に備えてトレーニングした時に、力比べをし、巨岩をそこまで運んだものだから『弁慶の力岩』と呼ばれていました。まだその石があった頃のこと、島陰で小舟を操りながら漁をしていた二人の漁師が言い争いました。「あの巨岩は弁慶が運んだ物だから根が付いていないのだ。だから、大きな力が働けば動くのだ。嘘でないって、おら昔から親爺に教えられていたもんだ」「そんな馬鹿な話、誰が信じるってよ、根が付いて動くわけないてば・・・・・」どちらにも軍配のあげられるものではなかったが、ついに勝負の時がきた。その巨岩が波にさらわれたのだ。激しい波が鴎島の中央部を越えてきた日のことである。昭和9年、函館大火の日であった。以来、同じように鴎島の中央部を波が越えたのは、20年後の洞爺丸台風の時だけだと言われています。→「民話・伝説・史話 -江差百話-」より引用です。"弁慶の足跡"は汐が満ちると隠れてしまいますが、崖下の平らな岩盤に足跡のような2つの大きな穴が開いています。これは、源 義経に伴って江差へやってきた弁慶の足跡だと伝えられています。まるで鴎島に向かって仁王立ちしているかのような足跡の形にもイメージできなくもないですが、干潮で海からの出ていないと波に隠されていて何が何だか分かりません。観覧のタイミングのオススメは干潮時だけです。(くれぐれもガッカリしてはいけません)