平安時代の風が吹く、和志取神社。
和志取神社の特徴
平安時代中期に編纂された延喜式に記載されています。
五十狭城入彦皇子を祭神としている神社です。
古代の地域平定の祖を祭る貴重な神社です。
平安時代中期に編纂された神名帳「延喜式」に記載されている神社、いわゆる式内社の一つです。第十二代 景行天皇の皇子にあたる五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのおうじ)が勅命を受け、この地方の逆臣を討った後、長らく三河國を治めていたそうです。皇子が薨去された際「和志山」と呼ばれるこの地に陵墓を作ったことが、神社の始まりなんだとか。以降、三河國百五十座の筆頭として厚く信仰され、現在に至ります。
五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこ)を祭神。
古代(大和朝廷時代か)の地域平定の祖を祭る貴重な神社。明治時代の神社合祀の影響で地域独自の祭神が残っている神社は少ないので、大変貴重である。本殿裏には祭神のものと伝わる古墳がある。また、神社となりには中世時代に神社の本地仏とされた仏像を祭る大日堂があり、こちらも神社、信仰の歴史の変遷を伝えるものであり、明治時代の廃仏毀釈の影響により本地仏が残されている神社は少なくこれも貴重な文化財であると思います。
街中の小さな神社です。
| 名前 |
和志取神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0564-31-9387 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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和志取神社(わしとりじんじゃ)。愛知県岡崎市西本郷町。式内社(小)論社、旧県社。主祭神:五十狹城入彦皇子(いさきいりひこのみこ、第12代景行天皇の皇子)資料によると、当地は、和名抄の碧海郡鷲取郷にあたるとされ、当社も、鷲取天神と記されていた。江戸時代には、瀬部明神、蝉神社。天王社とも記され、末社の中に「ワシ取ノ社」があった。当時は、現在末社になっている天王社が主で、和志取社は、その末社の位置にあったようだ。明治になって長谷部神社と改称したが、式内・和志取神社であると確定し、社名を復称。ただし、その後、安城市の和志取神社から異議がだされ、式内社としての確定は取り消されたらしい。1879年(明治12年)に未定式社和志取神社の社号を認められ、1916年(大正5年)12月28日、郷社とされた。祭神は、五十狹城入彦皇子。当社の北西300mに西本郷古墳群があり、五十狹城入彦皇子御墓とされる前方後円墳もある。五十狹城入彦皇子は、景行天皇の6番目の皇子で、三河長谷部直の祖。別名は、気入彦命。当地にあって逆臣を討ち取ったので、鷲取という地名になった。とあります。