青ヶ島のモーゼ像で歴史を感じる。
還住像(佐々木次郎太夫)の特徴
還住像は、青ヶ島のモーゼと称される次郎太夫を讃える銅像です。
噴火の歴史を伝える記念碑として、先代名主たちの志にも思いを馳せられます。
先々代名主や七太夫の逸話も包含し、深い歴史を学べるスポットです。
島民の半数を失った江戸時代の噴火の50年後に再上陸(環住)を果たした島の名主の像です。青ヶ島に来たらぜひ訪れましょう。
(2022/09) 還住を成し遂げた次郎太夫に賞賛が集まるが、大噴火時に島民を避難させた先々代名主・七太夫、起返の志半ばで倒れた先代名主・三九郎にも思いを馳せてほしい。
噴火で八丈島に移住しつつも、現地での暮らしが厳しく、やはり故郷の青ヶ島に戻ろう!と決意して、元住民たちをまとめて帰還した佐々木さんの行動力に驚きます。
青ヶ島のモーゼの話しを聞いた後に、この銅像を拝見しました。青ヶ島の将来を考えて、若者を船に乗せた話し。この人達がいたから、今、青ヶ島があるんだと感じました。
詳しくはWikiで「還住」を一読!です。郷里に帰ると一言で言えば簡単な話しですが、人が住む・暮らす・働く・食べていく・結婚する・子を作り育てる、なんて当たり前のことを深く深く考えさせられます。深く思慮したところでこの海の青さと同じように、果てのない色合いの前にぼやけていくだけなんでしょうが、それでも考えさせられます。
歴史を学ぶ記念碑です。
アオが島(原文)아오가시마
天明の大噴火で八丈島に逃れた「青ヶ島のモーゼ」と呼ばれる英雄・佐々木次郎太夫の碑。50年余りの年月を費やして再び青ヶ島での生活の復興を成し遂げることが出来た事実は、柳田國男が昭和8年に発表した「青ヶ島還住記」に取り上げられた。それに用いられた「還住」という言葉はやがて苦難の末に青ヶ島住民が帰島を果たした事実を表す言葉として定着し、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名前にも用いられていた。
名前 |
還住像(佐々木次郎太夫) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

環住島の歴史を調べると考え深いものに見える。噴火後にいかに努力してこの島に戻り、その後どのような努力をして定住してきたかを学ぶとこの島をより楽しく回ることができますよ。