大崎村古城の碑、訪れてみて!
別称:大崎村古城。1505年 牧野古白が築いた今橋城(吉田城)は、翌年に伊勢宗端〔後の北条早雲〕の侵攻で落城、古白は討死した。代わって田原城主:戸田憲光の次男、戸田金七郎三郎兵衛尉宣光が城主となった。1519年 牧野古白の遺児三成、信成兄弟が今川軍と共に今橋城を奪取、戸田宣成は田原城へ逃れた。当時 大崎城は伊庭藤太の居城だったが、戸田宣成(~1546年)が入城、1546年 今川義元により今橋城は落ち、翌1547年 田原城も竹千代の人質事件で落城、支城の大崎城も廃城となる。1601年 織田信長の娘 五徳姫に仕えた中島与五郎重好が大崎城東側隣地に607石で陣屋を構え、三河湾に影響力を持つ水軍を有し、将軍上洛時の渡海警備職を担った。その後、中島氏9代続き、1868年まで交代寄合旗本として存続し、幕末の石高は1040石余。現在は竹林、住宅、神社、寺、施設に変わり、曲輪、空堀、土塁、土橋が残るのみ。
名前 |
大崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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龍源院の入り口に碑は有りますが、何も無いです。城跡は寺の北側の竹藪から幸稲荷神社までです。幸稲荷神社に行ってください。空堀や曲輪を見ることが出来ます。