飛鳥村の古代水時計、歴史を感じる!
飛鳥水落遺跡の特徴
中大兄皇子が造った日本初の水時計(漏刻)の跡があります。
飛鳥時代の歴史を感じることができる貴重な遺跡です。
飛鳥資料館の近くに位置し、アクセスがとても便利です。
なんだか分かんない!と思っていたらアプリでARで見たら楽しい!
甘樫丘の東側、飛鳥寺の西側に位置する。発掘調査の結果、特異な正方形の基壇を持つ大形の建物遺構が見つかった。発見された遺構は他に、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置を持ち、中国に現存する元・明・清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡が検出されている。これらの遺構は斉明天皇6年の時、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であることが想定されている。
明日香村にある遺跡の一つ。この遺跡は斉明天皇期に造られたらしく、水時計があった場所のようで、鐘などで刻を知らせる事で天皇が時間を支配し始めた場所なのではないかと考えられているようだ。
展示そのものはどうなんでしょう。最近のものでしょうね。でも、当時から水時計のシステムがあったことを示すものとしては感慨深いものがありますね。
中大兄皇子が作ったとされる「漏刻」の遺跡です。これで、時の朝廷は時間を管理し、人々の支配を強めて行きました。2023年春に、リニューアル工事が行われ綺麗になっています。
『日本書紀』に記されていた日本初の時計(水時計)の跡です。それがこのように残っていたとは驚きですね。それにしてもこちらの礎石は礎石同士を更に石で繋いでいるというかなり特異な形をしています。私は他にこのようなものを見たことがありません。何故このような形をしているのでしょうか?水時計という精密機器が設置されていたからでしょうか?水時計というのは当時の最先端のテクノロジーであり文字通り「文明の利器」だったと思います。そういうものを人々に見せることによって朝廷の威信を示すという意味もあったと思いますが、土地や人民というモノだけでなく「時」をも朝廷が支配するという意味もあったと思います。最後になりましたが飛鳥資料館で発掘された当時の水落遺跡の模型と復元された水時計・漏刻を見ることができます。
中大兄皇子が建設した漏刻(水時計)の跡。掘立柱の建物跡地内にそれらしき施設が残っている。当時の日本(倭)は中国の先進技術を積極的に取り入れようとしており、これもその一つと思われる。
天智天皇の即位前の中大兄皇子のとき、斉明天皇のとき、水時計を作ったのは、壬辰の乱の小説で知っていたのですが、その遺跡があるとは、知らず、驚きました。どういう仕組みか分かりませんが、良かったです。
中大兄皇子が造ったといわれている日本初の漏刻(ろうこく)、つまり水時計の跡で、日本書紀にその記載があるとのこと。この柱跡は掘立柱建物跡で、近くを流れる飛鳥川の水を建物内に引き入れて、時を計っていたらしい。記録によると、日本で初めて時計による時の知らせが行われたのが6月10日であったため、それを記念して「時の記念日」が制定されたとのこと。
名前 |
飛鳥水落遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-54-5600 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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ブラタモリでここを取り上げていたのをみて寄ってみました。