天守閣から眺める美しい川。
関宿城博物館の特徴
天守閣からの360°の景色が圧巻で、美しい富士山も望めます。
千葉県野田市に位置し、利根川の治水に関する歴史が充実した博物館です。
お城を模した建物で水運や関宿藩の歴史に触れられる展示が見応えあり。
お城のような天守閣が目印の千葉県立関宿城博物館は、二つの大河の利根川と江戸川が分岐する高台の堤防上にあります。この一帯はかつて関東の水脈を押さえる利根川水系の要害として、戦国時代末期には、関東制圧を目論む北条氏と上杉氏の間で激しい争奪戦(関宿合戦)が繰り広げられた場所です。北条氏は「この地を抑えるという事は一国を獲得する事と同じである」と考えていたようです。北条氏が上杉謙信・佐竹義重の援助を受けた簗田晴助の守る関宿城を3度に渡り攻撃し、最終的に北条氏がこれを制し北関東進出の拠点とした歴史があります。関東を制圧した北条氏でしたが、1590年に豊臣秀吉が天下統一を目指して、北条氏の拠点であった小田原征伐後に、関宿城には徳川家康の異父弟である松平康元が入城しました。江戸時代には、松平康元を藩祖とする関宿藩の藩庁が置かれ、幕府の要職にある譜代大名が関宿城の城主を務めました。関宿城は1671年に天守が破損し、御三階櫓を江戸城にある富士見櫓を模して再建されました。関宿城博物館には、富士見櫓を模した模擬櫓がありますが、この櫓は1995年に建てられたもので、関宿城跡とは少し離れた場所にあります。藩政時代に御三階櫓が築かれた場所は河川改修により旧状を留めていない状況です。河川改修などの影響で関宿城の遺構はほとんど残っていませんが、埋門と大手門と伝わる門が市内に、関宿城の城門と伝わる薬医門が逆井城に、それぞれ移築され現存しています。博物館には、戦国武将がこの地の覇権を争った歴史、大河に挟まれ洪水と戦った当時の様子、利根川がかつて東京湾に注いでいたのを江戸時代に大規模工事で銚子まで東遷したこと、水運経済で栄えていた街の様子などが展示されています。
広々としているし人も少なかったのでゆっくりできました。天守閣からの眺め、いいですね〜。裏には色々な鋳造生き物がいました。
千葉県立関宿城博物館は、千葉県野田市関宿に位置し、日本の歴史と文化を知る上で非常に重要な施設です。この博物館は、江戸時代の城郭であった関宿城を再現した建物の中にあり、関宿城の歴史や地域の文化、江戸時代の関宿藩に関連する展示が充実しています。以下では、博物館の概要、展示内容、そしてその文化的価値についてご紹介します。1. 博物館の歴史と概要千葉県立関宿城博物館は、1995年に開館しました。博物館は、かつてこの地に存在していた関宿城の歴史を伝えることを目的としています。関宿城は、戦国時代に築かれ、江戸時代には関宿藩の拠点となっていました。しかし、明治維新後の廃藩置県に伴い城は取り壊され、現在その姿は残っていません。関宿城博物館は、江戸時代の城郭を模した外観であり、当時の城の姿を彷彿とさせます。特に天守閣を模した4階建ての建物が特徴的で、遠くからでもその姿が確認できます。また、博物館の周囲は豊かな自然に囲まれており、周辺の景観も訪れる人々を楽しませています。2. 博物館の展示内容関宿城博物館では、主に3つのテーマに基づいた展示が行われています。これらの展示は、来館者が地域の歴史と文化を深く理解できるよう、工夫されています。2-1. 関宿城とその歴史博物館の中心的な展示は、関宿城に関するものです。関宿城の築城から廃城までの歴史が、模型や絵図、古文書を通じて詳しく紹介されています。特に、江戸時代における関宿藩の役割や、交通の要所としての関宿城の重要性についても解説されています。関宿城は、利根川と江戸川の合流地点に位置しており、その戦略的な立地から、江戸幕府にとっても非常に重要な拠点でした。展示では、この地域が物流の中心地であったこと、そしてそのために関宿城が果たした役割についても学ぶことができます。2-2. 江戸時代の暮らし江戸時代の関宿藩に関する展示も充実しています。この展示では、江戸時代における農業や商業、文化の発展に焦点を当てています。当時の農具や日用品、衣服などの展示を通じて、江戸時代の庶民の暮らしを具体的に感じ取ることができます。また、関宿藩の人々がどのような食事をしていたのか、どのような衣服を着ていたのかなど、生活文化に関する情報も多く提供されています。さらに、展示の一部では、江戸時代の交通や物流の重要性についても紹介されています。関宿は江戸川と利根川が交わる場所であったため、船での物資輸送が盛んに行われていました。このため、関宿藩は物流の拠点としても重要な役割を果たしていたことが分かります。2-3. 地域の自然と文化関宿城博物館では、地域の自然環境と文化に関する展示も行われています。特に、利根川と江戸川という2つの大河が生み出す豊かな自然環境と、そこに生息する動植物に関する展示が充実しています。また、地域の伝統工芸や祭りなど、地域に根ざした文化的な側面も詳しく紹介されています。この地域では、農業や漁業が古くから営まれており、これらの産業が地域社会の発展にどのように寄与してきたかが解説されています。また、博物館では季節ごとに特別展示や企画展も行われており、地元の文化をより深く知る機会が提供されています。3. 博物館の文化的価値関宿城博物館は、単に歴史を学ぶための場所にとどまらず、地域の文化や自然環境を総合的に理解するための重要な拠点となっています。特に、江戸時代の関宿藩に関連する資料や展示は、当時の政治や経済、文化を知る上で貴重な情報源となっています。また、博物館を通じて、地域の人々がどのように自然と共生してきたか、またどのように社会が発展してきたかを学ぶことができます。これは、現代の私たちにとっても大きな示唆を与えるものであり、地域の歴史を知ることで、現代の社会や環境問題に対する新たな視点を得ることができるでしょう。4. 訪れる価値関宿城博物館は、歴史や文化に興味がある方にとって非常に魅力的な施設です。また、博物館自体が自然豊かな環境に囲まれているため、四季折々の風景を楽しみながら訪れることができる点も大きな魅力です。特に春には桜が美しく咲き誇り、博物館周辺は多くの観光客で賑わいます。さらに、博物館の近くには関宿城跡公園もあり、歴史散策や自然観察を楽しむことができます。博物館を訪れる際には、ぜひ周辺の散策も合わせて楽しんでください。まとめ千葉県立関宿城博物館は、関宿城の歴史や江戸時代の生活文化、そして地域の自然や伝統を学ぶことができる貴重な施設です。江戸時代における交通の要所としての役割を果たした関宿城の歴史を理解し、さらに地域に根ざした文化や自然についても深く知ることができるこの博物館は、千葉県を訪れる際にはぜひ立ち寄りたいスポットです。豊かな歴史と自然が融合する関宿城博物館で、地域の魅力を存分に感じ取ってください。
入館料200円 天守閣から市内を見渡せます。でも、畑‥田んぼ‥森‥川‥山自然が一杯です。後は野生の猿がいます。日本刀や鎧も一点ずつ見れます。取り敢えず地元の人も行きそうで行かない場所です。駐車場はサボリーマンがお仕事の外回りと言う名目で車のなかで寝ていらっしゃいました。多分、サボりの玄人です。
実際の関宿城跡は、江戸川土手沿い約400m程下流に、荒地のように存在しています。こちらは城を模した模擬櫓で、3層4階建ての博物館になります。最上階は展望室となっています。主に江戸川と利根川、それに関連する治水に関する資料や当時の関宿藩などに関する展示がされています。ジオラマや模型などが豊富に展示されていて、大人でも飽きずに見て回れると思います。入口から見て裏側には日本庭園があり、庭園から見上げる天守は意外にも立派に見えます。公園が隣接されていて、散歩コースとしても活用されています。サイクリングロードの休憩地点にもなっていて、サイクリスト用に駐輪場やサイクルスタンドも設置されており、併設されている休憩所兼ミュージアムショップで空気入れの貸し出しもあります。駐車場は割と多い台数が停められますが、休日は満車になることがあります。バイク用の駐輪場もありますが、4台くらいしか停められません。入場料は通常一般が200円、大・高校生が100円、中学生以下と65歳以上は無料と展示内容の割に低めの設定になっています。館内はバリアフリーです。休館日は基本的に月曜日と年末年始です。開館時間は9時〜16時30分と、意外と早めの閉館時間(入館は16時まで)なので注意が必要です。
城の形式 平城天守閣 御三階櫓城の大きさ 全長600メートル四方のやや小振りの城。・日光街道徳川代々将軍の日光東照宮社参では関宿城で休憩し、海路や陸路で、岩槻の次の宿泊地の古河へ行った。・関宿藩天正18年(1590年)以降に関東8か国を治める領主として徳川家康公が江戸に移封してきた時に、古河とともに海運の重要拠点として位置付けられた関宿の地に、家康公の異父兄弟の松平康元が2万石で入り関宿藩が立藩します。康元は関宿城を築城、さらに城下町と海運の港を建設します。翌天正19年(1591年)に2万石を加増され4万石となる。康元が死去すると嫡男の松平忠良が大坂の陣で戦功を挙げ、元和2年(1616年)1万石を加増され美濃国(現在の岐阜県)大垣藩へ移封する。翌年、越後国(現在の新潟県の一部、福井県の一部)三条藩より松平重勝が2.6万石で入るも元和5年(1619年)遠江国(現在の静岡県)横須賀藩へ移封する。同年下総国(現在の千葉県の一部、埼玉県の一部)古河藩より小笠原政信が2.27万石で入るも政信は早世(若くして死ぬこと)、養子で入った貞信が継ぐが、貞信は僅か9歳だったため重要拠点の関宿を任せられないので美濃国高須藩へ移封遠江久野藩より北条氏重(※北条氏重…保科正直の4男、後に徳川第8代将軍の徳川吉宗公の側近の南町奉行になる大岡越前守忠相の外祖父にあたる人物)が2万石で入る。正保元年(1644年)駿河国(現在の静岡県)田中藩へ移封武蔵国(現在の東京都全域、埼玉県の一部、神奈川県の一部)より牧野信成が1.7万石で入る。嫡男、親成(ちかしげ)は京都所司代になったため河内国(現在の大阪府)に1万石を加増され、明暦2年(1656年)に丹後国(現在の京都府)田辺藩へ3.5万石で移封山城国(現在の京都府)、近江国(現在の滋賀県)で大身旗本だった板倉重宗が、5万石の大名となり関宿藩主へと昇格し入る。嫡男重郷が跡を継ぎ、重郷は弟の重形に5000石を分知し4.5万石とする。死後、嫡男の重常は寛文9年(1669年)伊勢国(現在の三重県)亀山藩へ移封する。徳川家第2代将軍徳川秀忠公と第3代将軍徳川家光公の小姓で第4代将軍徳川家綱公の側近だった久世広之が5万石で入る。広之は若年寄、老中を歴任する。嫡男の重之は天和3年(1683年)備中国(現在の岡山県)庭瀬藩へ移封同年、常陸国(現在の茨城県)より牧野成貞が5.3万石で入る。成貞は徳川第5代将軍徳川綱吉公の側近で、綱吉公がまだ館林藩主の頃より仕えている。奏者番、綱吉公付き側用人として綱吉公を支える。和泉国(現在の大阪府)、常陸国内に新たに2万石を加増され7.3万石となり、成貞の子成春は、さらに7000石を加えられ8万石で三河国(現在の愛知県)吉田藩(現在の愛知県豊橋市)へ移封再び久世重之が5万石で入り、そのまま久世氏が明治維新まで領有する。重之は寺社奉行、若年寄、老中と順に歴任し、1万石を加増され6万石となる。3代後の暉之(てるゆき)は弟に2000石を分知し5.8万石とする。9代広業(ひろなり)の時に明治維新を迎え廃藩置県となり、所領は印旛県となりました。現在建っている県立関宿城博物館より500メートル先に行ったところに牧場があり、牧場の隣接するように小高い丘になっている場所に関宿城址と石碑がある所があります。そこが、真の関宿城・関宿藩があった所になります。アクセス東武野田線アーバンパークライン、川間駅北口より、朝日バスで関宿中央ターミナル駅停留所から、まめバス関宿城ルート行に乗り換えて県立関宿城博物館下車すぐ。川間駅からバスで57分。自動車国道16号線、野田市中里陸橋から25分首都圏中央連絡自動車道(通称・圏央道)境古河インターチェンジより13分、五露インターチェンジより15分、新4号国道幸手市菱沼交差点から10分です。駐車場あり。無料・御城印県立関宿城博物館に隣接する無料休憩所兼お土産屋さんにて1部300円で販売されています。
千葉県立関宿城博物館は、利根川流域の歴史・民俗・産業をテーマとした博物館です。野田市関宿は、近世から近代にかけて利根川舟運の中継地として栄えました。館内は「河川とそれにかかわる産業」をテーマに河川改修や舟運の歴史にスポットを当てた展示内容となっています。また、関宿城や関宿藩の歴史についても併せて展示・紹介しています。建物は立派なお城の形をしており、天守閣部分はかつての関宿城の記録をもとに再現したものです。展望室からは、利根川や江戸川、関東一円の山並みを見ることができます。「城下を歩こう」や「古文書を読む」といった各種体験教室やイベントもおこなわれています。月曜日休館日です。中学生以下:無料 高校生・大学生:100円 大人:200円※企画展開催中の入館料高校生・大学生:200円 大人の料金:300円。
水や川に関する展示と地元に関するあらゆる物の展示が詰め込まれている場所。模型(ジオラマ)や複製品(レプリカ)が多かった。展示物以外にも天守閣から広々とした景色が楽しめたり、子供用の遊具もあって、なんだかんだで1~2時間は楽しめます。
チーバくんの鼻先に相当する千葉・埼玉・茨城境界域にある城に擬態した千葉県立博物館、入館料たったの200円で川の歴史展示がメイン。野田線川間駅のバス路線あるも実用的ではない本数でマイカーかサイクリング利用前提(駐車場無料)でしょう。スーパー堤防の上に建っているため頂上からの展望良好。展望室はエレベータで上がれるけど窓はロックされ外気に触れることはできません。風景は千葉というよりは筑波山がよく見えるシン埼玉って感じです。(2022.12)
名前 |
関宿城博物館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
04-7196-1400 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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360°の眺望は圧巻です。関東平野の真ん中を実感できます。