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名前 |
渕端諏訪大明神社(旗鉾神社) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.8 |
2022年7月27日に参拝しました。慈覚大師が、嘉祥年間846〜851年に衣川の川底が光明と輝くことに驚き、川岸に祠を建てて渕端諏訪大明神と称して建南方命(たてみなみかたのみこと)を祀ったのが始まりだそうです。建南方命は、建御名方命のことだと思います。国譲り神話に登場する大国主命の息子です。最後まで天孫族に抵抗しますが、最後には武甕槌命に敗れて、信濃の諏訪湖へ逃れて諏訪大社に祀られました。安倍頼良(頼時)が、天喜年中1053〜1058年に兵器である旗や鉾を祀って鎮護としたとされており、それ以来、旗鉾神社と呼ばれるようになったそうです。藤原秀衡の三男泉三郎忠衡が、文治年中1185〜1090年に再興し、自分の守り本尊である魚藍観音を配祀したと伝えられています。現在の社殿は、陸奥史叢に文化10年に完成したと記されています。仲哀天皇(4世紀)の頃、神功皇后の三韓征伐の神話に出征を決断する神事を高山市の旗鉾神社に託されたと言います。もし、この謂れを安倍頼良が知っていて、旗と鉾を奉納したのだとすれば、安倍氏は、蝦夷系出身ではない中央系の土着氏族だと思われるのです。