桜川の歴史を感じる。
千波湖水利改修記念碑の特徴
江戸時代の千波湖は現在の4倍の広さでした。
明治・大正時代に埋め立てられた歴史があります。
柳堤橋近くで碑が二つ建つ静かな場所です。
柳堤橋近くの桜川の土手にあります。桜川沿いの遊歩道を歩かないと気付かないかも。
江戸時代の千波湖は今の4倍ほどの広さがあり桜川が直接流入していたそうですが、明治・大正時代に3分の2ほどが埋め立てられて水田となり、現在の大きさに縮小されたのだそうです。この石碑はその時の干拓事業を記念して建てられたものなのでしょう。干拓され水田となった場所は現在水戸駅南口や市役所などの市街地となっています。周囲が草ぼうぼうな上に文字が判読しづらいのですが、向かって左の大きな石碑は昭和9年11月(戦前)、右の小さな石碑は昭和36年10月(戦後) の日付が入っています。少し傾いており、地震等で倒れてきても不思議ではないので、あまり近づかない方が良いかもしれません。大きな石碑の題字は『利澤万世』でしょうか。本文は「千波湖水利改修記念碑 公爵 徳川國順 題額」と書かれた後に、「我が国は古来農業を以って立国の大本と成せり而して農業は耕地を本となし 耕地は水を生命となす …」と始まり、主に干拓の意義、経緯と工事の難航さが記してあるようです。因みに徳川 圀順(くにゆき)氏は、水戸徳川家第13代当主で(※水戸藩は11代で終了)、大日本史を完成(終了)させた方です。小さな石碑の題字はシンプルに『記念』と書かれ、文体も現在に近いので読みやすいです。「桜川は起点を遠く朝房山の麓 笠間市池野辺に源を発し…」と始まり、千波湖が埋め立てられたことによって長くなった桜川の変遷と、柳堤(りゅうてい)水門が設けられた経緯などが書かれているようです。桜川は景観も整備され、その名の通り春には水戸の桜の名所となっています。因みに、もう少し水戸駅方面に進むと、柵町公園の中に「柳堤」の碑があります。江戸時代、広大な千波湖の中を通る人工の細い新道がありました。千波湖によって遮られていた上町と下町の交通の便を良くするために設けられたものですが、通行人の暑さ避けにと光圀公が沿道に柳の木を植え「柳堤」と呼ばれるようになったのだそうです。柳堤は水門橋付近から現在の水戸駅を突き抜けて東照宮の麓まで渡されていて、千波湖八景にも数えられる独特の景観を形成していましたが、千波湖下沼の埋め立てと共に消滅し、今は柳堤橋が地名として残るのみです。昔の柳堤の様子は、市立博物館や県立歴史館の2階に城下町の模型や古地図が展示してあり、伺い知ることが出来ます。ちょうど記念碑の立つ土手の辺りがかつて柳堤だった場所ではないか…と思われたので、付記しました。
| 名前 |
千波湖水利改修記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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桜川の柳堤堰近くの畔に碑が二つ建っています。碑の内容はよく読めないのですが、桜川の治水に関するものだと憶測しています。