小野小町伝説のひっそり古刹。
北向観音堂の特徴
北向観音堂は田んぼ道の奥にひっそりと佇む静かな寺院です。
駐車場から小橋を渡り、階段を上ると小さなお堂が待っています。
小町伝説の地として、しっとりとした雰囲気を楽しめます。
石岡市には北向き観音堂が2つある。1つは国府の富田北向き観音堂で、もう一つがここ小野越北向き観音堂だ。前者は常陸国総社宮にあったとされ、いまも町中にあるが、こちらは昔は流光院にあった小野小町のゆかりの堂とのことだが、いまはだいぶ人里離れたこの小野越にある。畑地の中にある駐車場からさらに5分くらい歩き、叢の中を抜け少し小高い丘のようなところにぽつんとある。石岡市はこういう忘れ里がいいな。お堂の手前にある小屋もなんだか意味ありげでよい。
小野越え峠の北側で小町伝説が有り小野小町腰掛石があります。
街を抜け、集落を抜け、山間の田畑のその先。ナビをセットしておいても、ホントにこっちでいいのかよ?という不安感にとらわれる。まさに 「山籠れる」という単語がぴったり。138号線からは当然確認できず。近くに駐車場ができた、という話を聞いてはいたのですが、それすらわからない。(お参りの帰り、参道石段を通ったんですが、その時に初めてわかりました。通常の目で見ては判別できないスペースです笑)つまりは峠道近くのスペースにクルマを停め、遠回りをしてお堂へ行ったのです。宗派は真言宗、その豊山派。創立は824年4月、当初は滝本坊という名称。その後、1605年に長楽寺と改称。本尊は薬師如来が本尊。仁王門があり、仁王尊(金剛力士像)あり。天狗伝説の寺としても知られているようです。環境的には、行者さんの修行場というコトバがぴったり。近くに小さいながら流れもありますし。地元の方々がお参りをする、という場ではないと思います。当然どうしてこの場所か? という疑問が起きますが、令和の肉身(にくじん)には思いもつかず。こういう場所は、いろいろ想像がふくらみます。
古刹で境内から山道があります。駐車場も完備されましたが見立たず通過してしまう。入り口も田んぼの畦道進みます。
古刹で境内から山道があります。駐車場も完備されましたが見立たず通過してしまう。入り口も田んぼの畦道進みます。
駐車場から小橋を渡り、階段を登ると小さなお堂がありました。ところどころ桜が咲いて、穏やかな場所です。
2020年3月訪問。車が10台とめられる程の駐車場が新しくできていました。これで安心してお参りができます。駐車場の横では白梅の畑が満開でした。
のどかな田んぼ道の奥にひっそりと建っているのが良い👍小さい小川が流れていて気持ちが良いです☺小町を想像しながら歩きたいです☺
小野小町伝説の観音堂。石岡市小野越。自然の中、小川を渡って参道石段をあがる。土浦市小野(小町の里)に滞在した小野小町がこの観音堂をに参拝した。階段脇にはいぼ神様を祀る大きな石がある。近くの菖蒲沢集落には大きな筑波四面薬師を祀る薬師堂がある。
| 名前 |
北向観音堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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天平年間(729~749)僧行基が常陸国分寺建立のために国府を訪れた時のこと。瑞光を放つ地を見かけ来てみると白檀の木があった。行基はその霊木で仏像を刻み、喜んだ里人が堂宇を建立したのが本堂のはじまりである。平安期の絶世の美女にして古今和歌集に記される六歌仙のひとり小野小町の伝説でも知られます。小野小町の墓がある現・土浦市小野の言い伝えによれば、晩年となって容姿も衰えた小町が京都から故郷の出羽国へ向かう途中、長旅の疲れが出て当地の村長・小野源兵衛氏宅にしばらく逗留することとなった。直線距離で北へ2.6キロほ離れた山向こうの北向観音がイボ取りに御利益ありと聞いた小町は、峠を越えて北向観音に参拝して戻ると、肌もきれいになって元気も出た。小町は出羽国への旅を再開しようとしたが、病に罹って元慶7(883)年に69歳で亡くなってしまうのです。小野小町が峠を越えたことから、此の地は小野越と名付けられたと云う。仏教は専門外ということでお堂関係は余り立ち入らないことにしているのですが、先日、土浦市小野の「小野小町の里」を歩いてきたので、こちらも来てみたというワケです。時節柄でしょうが、草木が生い茂ってあまり展望が開かず、それにしても何とも味わい深き雰囲気です。かつて、ここを整備して地域起こしをしようとした形跡が随所に見られますが・・・今はただただ深としています。参道右手の「小町せせらぎの家」が気になって近づこうとしたのですが、ものすごい蜘蛛の巣に阻まれ撤退しました。