神々が祈る、足の聖地!
足尾神社拝殿の特徴
御祭神が国常立命と面足命、足の神社ならではの神聖感があります。
スニーカーや草鞋が奉納され、足の病を治すと評判の神社です。
急坂を登ると、足尾神社からの眺望が抜群で心が洗われます。
軽自動車かバイクなら拝殿まで行けます。但し山頂の足尾神社案内板からの道筋は少々危険なのでご注意。また山頂にはパラグライダーの基地があり、狭い山道を送迎の車が往来しているので気をつけましょう。
社伝によると延喜20年(920)に醍醐天皇が祈願したところ、足の痛みが完治したそうです。境内の奉納所に沢山の靴が納められていたのも納得ですね。(◔‿◔)
御祭神は国常立命・面足命・惶根命。神仏分離以前は上曾の「足尾山 大岩寺」が別当だったが、度々の火災により記録一切を焼失してしまい、創建年代等の詳細不詳。社殿に因れば、第60代の醍醐天皇(897-930)が御足痛に苦しんだ時、夢枕に足尾の神が現れたことから、遠く足尾の山を遥拝したところ、たちまち快癒した。醍醐天皇は紙に御足型を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜した。平安時代末には源義経の臣・常陸坊海尊が当山で修行したことから、足尾山は修験道の霊場として広く知られることとなり、全国から足の病に悩む参詣者で賑わった。野火で焼失した醍醐天皇の勅額の再下賜を寛正5(1464)年に御所に願い出たところ、再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったが、これも明治の神仏分離の混乱で失われてしまったそうです。また、当社は延喜式内社(小社)「常陸國茨城郡 夷針神社」に比定される論社です、論社というからには他にも候補が結構ありまして、茨城町大戸「夷針神社」・「かすみがうら市西野寺「胎安神社」・かすみがうら市東野寺「子安神社」・笠間市泉「飯綱神社(愛宕神社境内社)」とあります。どの社が本命であるかは、浅学菲才の徒たるみけねこに述べる資格なぞありませんが、延喜式神名帳がまとめられたのは、延長5(927)年で、まさしく醍醐天皇の御代ではありますかいか。ああでも、夷針神社という社名がやはり分からないですよね。山麓の足尾神社里宮(石岡市小屋)から車で約10キロ・18分程度ですが、県道7号石岡筑西線沿いの足尾神社一の鳥居前を経由し、林道北筑波稜線(狭いです)をクネクネと北上。ハンググライダー離陸場(林道はハングライダーを乗せたワゴン車が行き来するので注意)の少し先の道路脇右側に社号標があり、狭いながらもコンクリートで舗装された参道は車で進入することが可能です。林道脇にリトルカブを駐め、知らずに歩きましたが、100メートル強くらいでしょう。参道の先は、砂利が敷き詰められた意外にも広い境内に、二の鳥居、小さな新しい社務所、草履奉納所、そして真新しい社殿が鎮座していらっしゃいました。老朽化で基礎の石造の部分しか残っていなかったものを平成27年に新改築されたそうです。さて、あとはここで参拝すれば、足弱のみけねこも足ピンピン。裸足の鉄人アベベ(古いですか)も真っ青な健脚に・・・と言いたいところですが、まだ先があります。それは、社殿の左後ろに石の階段が続いているではありませんか?
一度は足を運んでみるといいかも、ですくつがたくさんありました!
ランニング中の立ち寄り場所です。靴がたくさん奉納されていますが、なぜかヘルメットなどもあります。
足の病を治すといわれ靴(昔は草鞋)が奉納されている。
この先は、通行止めな看板が…不安の中上がって来たら!とってもステキな足尾神社に巡り合い!早速ご参拝させて頂きました〜お天気も良く良い一日が過ごせました〜
登るのはキツいですが見晴らし最高です。
こちらは足の神様です長い間 一緒に共にしたスニーカーとお別れしたした。
名前 |
足尾神社拝殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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履き潰された靴が沢山ありました。