寛平元年の湯釜地の温泉神社。
温泉神社(上井口)の特徴
上井口公民館の横に位置し、アクセスも便利です。
小奇麗に整備された神社で清々しい雰囲気を楽しめます。
神社の周囲は穏やかな雰囲気で、心を落ち着ける場所です。
上井口公民館の横にあり、小奇麗にされていました。
公民館脇の神社。
| 名前 |
温泉神社(上井口) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75181 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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寛平元年(889)に、湯釜地から温泉が湧出したので、温泉神社を勸請して創建した、と伝わる。天文五年(1536)、現在地に遷宮。地名は、はじめ、湯口と言った。慶長年間(1596〜1615)に冷水になってしまったので、井口と改称したと伝わる。伝承どおりなら、相当の古社である。明治八年(1875)、上井口と下井口が合併した。昭和七年(1932)五月、刻の、温泉神社、の社額のある、白い袴をはいた、 小さい石鳥居。参道をすすむと、右手の田の境に、天明六丙午歳(1786)十一月吉日、刻の、湯泉神社、の、古風な、永代常夜燈 、一基。そのまますすむと、左に、天明七丁未歳(1787)十一月吉日、刻の、湯泉神社、の、永代常夜燈、一基。右に、天明六丙午年(1786)十一月吉日、刻の、温泉神社、の、永代常夜燈、一基。その右に、大黒様、らしい石仏一基。そのうしろに、石の祠一宇。湯泉神社、の社額のある、赤く彩色された、かわいらしい拝殿がある。となりに、上井口公民館がある。天明二年(1782)〜天明七年(1787)におよんだ、天明の大飢饉が起こる。天明三年(1783)には、浅間山の噴火・洪水・気候不順により、全国的な凶作になる。東北の被害は著しく、盛岡藩では、領内各所で 人肉食の記録が残されている。藩主松平定信が、重農主義を取り、自らも質素倹約を説き、領民から餓死者は一人とも出さなかった白河藩は、松平定信が、その手腕を買われ、後に老中に任ぜられ、寛政の改革につながった。その渦中の時代に 井口には、永代常夜燈を奉納して 神に祈る人々がいた。