住吉玉津島神社で感じる700年の歴史。
追分の明神(住吉玉津島神社)の特徴
道を挟んで向かい側にある“從是北白川領”の石柱が歴史を感じさせます。
樹齢700年の杉の迫力に圧倒され、自然の偉大さを実感できます。
白河の関へ向かう途中の静かな峠は、探索心を刺激されるスポットです。
“準”県境マニアとしてはソソられるスポットです。栃木・福島の県境なだけでなく、つまりは関東と東北の道境ですもんね。義経公や坂上田村麻呂公も通ったのか〜と、しばしタイムトリップに思いを馳せます。観光資源として必要以上な開発などせず、飾らないひっそりとした佇まいが却って魅力的。この方が勝手気ままにイマジネーションが拡がりやすいです。
道を挟んで向かい側に、從是北白川領、の石柱がある。石段を上って、嘉永六年(1853)三月吉日、刻の、石鳥居の左側に、大正元年(1912)創立、刻の、玉津島神社、の石柱。昭和廿九年(1954)八月二日点灯、刻の、電氣導入之碑。石鳥居をくぐり、石段を上ると、右側に、手水盥。寛文七年(1667)四月吉日、刻の、石灯籠一対。大きな杉の木があり、本殿がある。本殿に向かって左側に、大正三年(1914)九月十九日、大正三年(1914)九月十九日、大正五年(1916)、刻の、石の祠三字。石碑があり、覆堂の中に、檜皮葺きの本殿がある。那須の名木 追分明神の杉(三本) 推定樹齢七00年、に見守られ、歴史を感じさせる社である。「境の明神」ともよばれ、東山道の関東・東北の境にある古い峠神である。古くは、下野と陸奥の両国分の二社が並立していたとも言われ、関東分であり、関東宮の名もある。延暦十年(791)、坂上田村麻呂が、征夷の途次に勧請したものである。
白河関の少し南東北と関東を分ける小さな峠にあります歴史古し。
県境の神社です。階段の苔で滑りそう。
参拝しました。人も少なく静かです。あまり立寄る人もいません。駐車場がないので車を止めるさいは注意して下さい。
白河の関跡は峠を下りた集落にありますが、こちらもとても雰囲気があります!駐車場はありませんが、峠の北側は道が広くなっているので、数台なら停めておけます。
駐車場がないです。白河の関に止めたとしても歩くとなると、結構 歩きます。
樹齢700年の杉はとても迫力がありました。
栃木から進むとちょい道狭い小さくても駐車場あると良いと思います。
名前 |
追分の明神(住吉玉津島神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75150 |
評価 |
3.9 |
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住吉玉津島神社(追分の明神)を通って白河の関へ向かいました。旧東山道(とうさんどう)の関東最北端追分地区にあり、福島県白河市と境をなす峠上にある。このため「境(さかい)の明神(みょうじん)」ともいわれている。かつては、両県にまたがって二つの社があったと言われているが、現在は関東側だけにあり、そのため「関東宮(かんとうぐう)」とも呼ばれているということです。