住宅街のポツンと愚庵を訪れて。
愚庵終焉地の特徴
住宅街にひっそり佇む天田愚庵の歴史に触れられるスポットです。
草庵址山本五郎の面影が残る独特の雰囲気が魅力的です。
知られざる歴史的人物に出会える特別な場所です。
この人物を今まで知らなかった。
住宅街にポツンとあります。
天田愚庵(アマダグアン)草庵址山本五郎(山本鉄眼・天田愚庵)。清水次郎長の養子となる(明治14年)。広沢寅造「清水次郎長伝」等の基になった『東海遊侠伝』を著した。
| 名前 |
愚庵終焉地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu055.html |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
〒612-8027 京都府京都市伏見区桃山町泰長老147−7 |
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写真の撮影日時は2025.12.05(金)14:30。通りがかりに撮影しました。愚庵終焉地、わかりにくい表現だと思います。正式には“天田愚庵草庵跡地”(天田愚庵終焉の地)のほうがより親切な表現かと思います。以下になるべく簡単に、禅僧または歌人であった天田愚庵(法名)についての基本データを記そうと思います。参考として Wikipedia の天田愚庵など。すべて敬称略。合掌天田愚庵…嘉永7.07.20~明治37.01.17(1854.08.13~1904.01.17)享年51(満49)墓所・鹿王院(京都市右京区嵯峨北堀町)幼名・久五郎本名・天田五郎別名・山本五郎または山本鉄眉※鉄眉を名乗っていたのは明治14~17(1881~1884)号および法名・愚庵父・甘田平太夫(磐城平藩藩士)母・浪(磐城平藩藩医の娘)兄弟・長兄善蔵、久五郎(本人)、妹延(恐らく読み方はノブ)※ほかの兄弟はいずれも夭折義父・清水次郎長(山岡鉄舟の薦めにより)ゆかりの人々(一部抜粋)…小池詳敬(正院勤務~いわゆる太政官~食客だった)、山岡鉄舟、落合直亮、丸山作楽(九州地方遍歴の折、佐賀の乱で誤認逮捕され獄中にあったときに出会う)、鮫島高朗、桐野利秋、陸羯南、大岡育造、江崎礼二、正岡子規、品川弥次郎など(詳細は Wikipedia “天田愚庵”を参照してください)職歴・有栖川宮、大阪内外新報社など師・滴水禅師(天龍寺僧)法弟・策堂、実堂辞世の歌・大和田に 島もあらなくに 梶緒たへ(絶え)漂ふ船の行方知らずも愚庵は14歳のとき長兄善蔵に次いで戊辰戦争に従軍し、磐城平城落城の折、父母妹が行方不明となる。人生の内、各地を遍歴し、数多く学び、得度出家の法縁を得たのは晩年である。正式な記録はないものの、正岡子規に与えた影響について語る研究者も存在している。明治37より体調優れず、法弟策堂、実堂の読経が終わる前に命終したという。激動かつ十二分に幕末から明治の時代を生ききった四十九年の生涯であったと感じた。最寄り駅はわかりませんが、経堂による駒札、小さな石碑、お地蔵さまの小さなお堂が人家前に並んでいます。実際の草庵跡は歌人・荻原井泉水により磐城平(現在の福島県浜通り)に復元されているそうです。