平清盛終焉推定地、思いを馳せて。
平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地)の特徴
平清盛終焉推定地碑は静かな住宅街にひっそり佇む記念碑です。
小さな石碑と解説板があり、訪れる人に感動を与えます。
大河ドラマの影響で作成された近代化の史跡として注目されています。
特に何がある訳ではないのですが、\\\\平清盛の終焉推定地碑//です。京都駅八条口を東に約300ⅿ歩いた所に、平清盛云々ですので、おみやげ話のひとつには成ろうかと思います。京都駅前からも同樣です、東へ約300ⅿ歩いた所です。(高倉通)
平清盛は、治承5年(1181年)閏2月4日64歳で病死したとされています。その終焉の地はJR京都にほど近い一画にありますが、ここは側近平盛国の邸があった場所であり、清盛の義妹滋子が高倉天皇を生んだ場所でもありました。清盛の死後4年目に壇ノ浦で平家が滅亡したことを思うと、まさに清盛の人生とともに平家の栄枯盛衰があったことになります。
何でこんなところにと言った感じで石碑が在る。割と新しく出来た感じで同じところに2つも同時に祀られていてよく分からん。祟仁地区を散策ついでに見るのが良いかも。京都駅からも割と近いし団地なども多く存在していてちょっと違う京都を散策できる。
東九条の崇仁地区と言われる場所にひっそり建っています。京都駅から歩くと恐らく20分程度はかかると思います。平清盛の最期の地。歴史マニアであれば必見ですが、通常の京都観光をする方には不要なルートかもしれません。個人的にはこういう場所好きですけどね!
ここで平清盛が最期の時を迎えたのかと思うと感慨深い場所です。京都駅から程近くの集合住宅の前に碑があります。
家族誰も来たがらないのに自分一人のわがままで行ってきました。行ってよかったと思っています。ここであの平清盛が終わったと思うとね。大して詳しくないけど。でも行く価値ありかな?駅から歩いていく途中街中を散策する楽しみもありますから。
目立ちはしませんが、石碑とパネルがあるので前を通れば見過ごすことはありません。栄華を極め、教科書に必ず載っている人物がここで没したということを思うと、歴史の浪漫を感じます。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」もし、ご本人が聞いたらどんなリアクションをするんだろうか。
東京極大路の線上に当たるようだ。(平安時代にここに東京極大路があったかは要確認。鴨川にえぐられて六条から南の道は放棄されたのかも。)
塩小路須原の交差点を南向きに行くとJRの高架があり、それをくぐってすぐ西側の市営住宅の前にひっそりと「平清盛終焉推定地」の石碑と説明書のパネルが有ります。この辺りに平安時代末期、平清盛の側近として活躍した平盛国の邸宅があったとさるところです。この邸宅で平清盛が没したとされています。石碑とパネルがセットであったので見つけやすかったがどちらか1つなら見落としてたかもしれません。
名前 |
平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/tairanokiyomorisyuuenochi-takakuratennoutanjyounochi/ |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

平清盛の終焉の地(推定)平安時代末期はこのあたりに大きな屋敷が立ち並んでいたのでしょう。案内板がだいぶ古く、朽ち果てんとしています。