隠れた紅葉名所、金龍寺へ!
金龍寺跡の特徴
隠れた紅葉の名所、金龍寺跡へのアクセスは良好です。
登山道の入口としての役割を持ち、ハイキングに最適です。
かつての天台宗の寺院であり、歴史を感じる場所です。
金龍寺の参道です。戦後火災で焼失したそうですが、そこらに当時の痕跡が残っています。
細い道を歩いてくると急に開けておりプロパンガスのボンベや瓦の瓦礫ゴミなどがありますが、お手製の丸太ベンチもあったのでハイキング途中の休憩には良い場所でした。 景色の見渡しはありません。
太閤道ハイキングコースの途中にあり、案内標識もわかりやすかったです。今は跡が残るだけですが、当時が偲ばれます。
若山神社への登山道の入口、昔は寺やったんですね。
太閤道ハイキングコースの高槻側入り口から小一時間登ると到着します。尾根道まで一気に登る為結構な急勾配ですが足元は歩きやすく、そこまでの難所ではありません。寺跡、というよりはただの開けた空き地、といった感じですが丸太のベンチがそこかしこに設置してあり最初の休憩場所にはうってつけ。磐手橋を渡ってすぐのところに解説の看板があり、往時の写真をそこで拝むことが出来ます。
それらしき平地が残っています。
金龍寺は、邂逅山(たまさかざん)紫雲院と号した、天台宗の寺院です。『摂津名所図会』には「桓武帝延暦年中参議阿倍是雄卿の草創なり。はじめは安満寺と号す。其より百予歳を経て、千観内供再営より金龍寺と改め給ふ」とあり、延暦9年(790)、安倍是雄(あべのこれお)による創建と伝えられ、当初は安満寺(あまでら)と称していました。創建から170年あまり後の康保元年(964)、千観(せんかん)という僧が入って再営し、寺号を金龍寺と改めたといいます。天正年間(1573~1592)、高山氏の兵火に焼かれましたが、慶長7年(1602)、豊臣秀頼が再興したと『摂津名所図会』には記されています。さて、金龍寺ですが、江戸時代には、桜の名所であり、また松茸狩りの絶好の場所として知られていました。『摂津名所図会』の「金龍寺山松茸狩」に、丘の上にござを敷いて火に鍋をかけ、男も女も松茸狩りに興じている様子を見ることができます。この絵柄から、いわゆる行楽シーズンに金龍寺界隈が多くの人でにぎわっていたことがうかがえます。しかし、明治以後無住となって荒れ果て、さらに昭和58年(1983)4月、火災のため、本堂は焼失してしまいました。
名前 |
金龍寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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お寺跡という事で、隠れた紅葉の名所です。