夜桜と蓮の花、高田城の美。
高田城跡の特徴
高田城は1614年に築かれ、松平忠輝の居城として知られています。
蓮の花が咲く外堀は、夏に訪れると特に美しいです。
続日本百名城に認定された歴史ある城跡です。
高田城は、徳川家康の六男・松平忠輝の居城として1614年に築かれた平城で、日本海側の外様大名の動向に備えた軍事・政治の要地として設けられました。築城は伊達政宗や藤堂高虎らも関与したとされ、三重の堀と土塁を持つ輪郭式の城構えが特徴です。石垣のない、土の城です。天守は建てられませんでしたが、代わりに三重櫓がシンボルとして機能。明治以降に廃城となり、現在は高田公園として整備され、春には約4,000本の桜が咲き誇る名所となっています。城跡には「上越市歴史博物館」が建ち、概要を知ることができます。続日本100名城に選定。
徳川家康の6男、松平忠輝の為に築かれた城です🏯。ここも天下普請で築かれた城との事ですが、外堀は川の流路を、そのまま活用しただけの上、石垣は築かれず土塁のまま。突貫工事で築かれた感が否めません。一説によれば、直江津にあった福島城に住んでいた頃、忠輝の妻が冬の荒れた波風を怖がった為とも。城の造りと位置を考えると、単なる俗説とは思えなくなりますね。現在では公園として親しまれ、春の桜のシーズンになりますと、観光客で賑わう場所になっています。
平和な徳川幕府になってから徳川忠輝が入城したが、主な役割は行政。櫓が再現され、資料館と共通入城券を購入して入りました。
高田城は続日本百名城に認定されている。江戸時代には高田藩の藩庁が置かれた。現存遺構は内堀、外堀の一部、本丸土塁の一部程度であり、復元遺構として三重櫓が再建されている。夜桜の名所として名高い。堀が残っているためかつての城域はわかりやすいが、旧陸軍の駐屯地となっていたためかなり改変されており、現在は学校や公園となっているためかつての城らしさを感じさせる部分は本丸の一部と内堀程度と非常にわずかである。石垣は築城当時からほとんどなかったようで、石垣がないことがさらにお城感を薄くさせている。高田城は家康六男松平忠輝が築城。当初は75万石の大藩であった。忠輝はすぐに改易となり、その後は酒井氏、松平氏、稲葉氏、戸田氏、榊原氏と藩主が目まぐるしく変わった。石高も6.8〜75万石と様々。最終的に榊原氏で明治維新を迎えた。明治初期に三重櫓などの建物を焼失しその後廃城令で廃城となった。後に陸軍の駐屯地となった。
8月上旬に伺ったので外堀の蓮の花が綺麗でした。廃城後、旧日本軍の拠点として作り替えられたこともあり遺構はあまり残っていない感じです。三重櫓も内部は資料館的な作りで微妙。資料を見るなら、上越市立歴史博物館の方が充実していて良いです。
桜と蓮の名所として知られています。桜は未見ながら、蓮は圧巻の見ごたえでした。高田城は徳川氏による北陸支配の要として天下普請で築かれた城です。初代城主は徳川家康六男の松平忠輝、忠輝が不行跡を咎められて改易されてからは親藩、譜代が入れ替わり立ち替わりでしたが、江戸時代中期に榊原氏が入ゆ府した後は、明治の廃藩置県まで代々の藩主をつとめました。廃城令によって建物はことごとく棄却、石垣はもともとなく、外堀と内堀に囲まれた平地だけが残り、転用が進みます。陸軍一三師団の誘致に成功すると、外堀の三分の一が埋め立てられると共にあまたの桜が植栽されて、いまに続く桜の名所となりました。一方の蓮は事情が切実で、困窮している士族を救うために外堀での蓮根の栽培を推奨したのがはじまりです。花とかどうでもよくて、食うのと稼ぐのが目的だったのですが、蓮の生育によほど適した環境だったのか、ハス研究の権威であった大賀一郎博士から「蓮池の規模の大きいことは世界でもまれで、特に紅白入り交じっているのは珍しい」と称賛されて、それからは東洋一を自称するようになります。本当は宮城県の伊豆沼よりも小さくて日本一ですらないのですが、見て十二分に楽しめるならどうだっていいのです。城址として見た場合、内堀すべてと外堀の大半が存置されているのは大変貴重なものの、余計な箱モノがてんこ盛りなうえ、公園として整備されすぎたがゆえに、史跡としての風情が損なわれているのは惜しまれます。近年の整備で城址ならではの見ごたえを回復している米子城のような事例もあるので、今後に期待したいところです。城址としては☆三つ、蓮の名所としては☆五つの評価です。上杉謙信が本城を置いた春日山周辺、律令制の時代に国府が置かれた直江津周辺まで足をのばせば名所旧跡がよりどりみどりですが、高田城の近くでも、親鸞聖人開基の浄興寺などはなかなかの見ごたえで、あわせての立ち寄りをお勧めします。蓮の見頃は熱中症の季節でもありますが、九時に上越市立歴史博物館が開館するまでは、近傍にエアコンの効いた無料の施設はありません。蓮池がとりわけ華やかさを増すのは朝六時頃からとなりますが、十分な熱中症対策のうえご訪問ください。歴史博物館あたりから歩いて一〇分ほどのところにあるモスバーガーは、当然有料なものの朝七時から営業していて、エアコンもガンガンに効いています。早朝から蓮を堪能したあとに小腹を満たすのにも適しています。
お堀が広くて綺麗でした。駐車場も見つけやすくて広いです。
上越城紀行。高田城は、大坂の陣に備えて、伊達政宗公等に命じて構築された天下普請の大規模な土の城です。松平忠輝公が入城しました。再建三重櫓以外は建造物が有りませんが、大規模な土塁と広大な堀が圧巻です。幕末の殿様は、百五十年統治した徳川四天王榊原康正公を藩祖とする榊原家です。高田城は、関ヶ原後の大坂方や前田家に備える天下普請の城であり、城域も広大で堀は広く大きな土塁があり、火力戦に対応した堅固な近世城郭です。明治維新後は、陸軍の第十三師団が設置され、本丸に師団司令部が置かれました。第十三師団は、謙信公以来の義の精神と雪国の粘り強い越後健児により編成され、シベリア出兵、支那事変、ビルマ戦線等で勇戦敢闘、世界戦史に輝く勇名を称えられています。城内には、戦没された英霊を祀る忠霊塔もあります。近くには、移設された師団長官舎が大切に保存されています。なお、高田城の桜祭は、日本三大夜桜で有名ですが、日本陸軍が植えたのが始まりです。
1614年、徳川家康の六男、松平忠輝公の居城として築かれ、城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗によるもので、石垣はなくすべての曲輪に土塁が採用されていることが特徴です。堀や土塁の他、天守の代用とされていた三重櫓や春の桜、夏の蓮、極楽橋がみどころです。
名前 |
高田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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桜と高田城がとても綺麗でした!夜桜も見れてよかったです!!