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名前 |
村雨公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
広さの割には遊具は少な目の、ちょつとした広場的公園です。公園名は、白井に伝わる伝説に由来します。◆村雨丸のはなし小田原の戦いで、海東八郎延高という武士が、南相馬(沼南町付近)の武将の平胤吉の軍勢にうちほろぼされた。延高には十四才になる村雨丸延乗という子がおり、父のかたきうちのため旅に出た。しかし、道中で重い病にかかり、芦か(木へんに花)橋(矢ノ橋)という所まではたどりついたが、とうとう動けなくなってしまった。村雨丸は、守り神の如意輪観音の像をまくらもとにおき、父のかたきうちを願いつづけると、観音さまが夢の中にあらわれ、「腹の中に私を納めた聖徳太子像を作ってまつりなさい。そうすれば願いはかなうだろう。」「また、人々に拝ませなさい、商売の神となりましょう。」とつげた。おつげにしたがい、残りの気力をふりしぼり太子像を作りあげて気を失ってしまった。そこに武士の一団が通りかかり、倒れた若武者に大将が声をかけた。なんと、村雨丸が探しもとめていた胤吉だった。…(以下、略)『白井の伝説と文化財』(白井市郷土資料館発行)より。