和気清麻呂の霊を感じる神護寺。
和気清麻呂霊廟の特徴
和気清麻呂霊廟は大同4年に開基された歴史的な場所です。
弘法大師が住持し、真言宗の基礎が築かれた寺院です。
防衛の象徴として埋められた将軍塚の伝説が残るスポットです。
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令和二年 10月2日 京都初秋の旅神護寺 和気清麻呂霊廟和気清麻呂と姉 和気広虫が祀られていた護王神社跡1886年(皇紀2546)明治19年護王神社は、明治天皇の勅命により、御所の守護神として、現在の地の京都御所蛤御門前に移されたそうです(^^)神社の名残を感じる事ができます♪
神護寺というと空海ゆかりの寺という印象が強いが、和気氏の寺として創建されたという歴史を持つ。和気清麻呂は奈良時代に道教の簒奪を阻んだ人物として有名だが、けっこう長命で平安遷都にも関与している。なお公を祀った社は神護寺にあったが、明治天皇の勅命で御所西の護王神社に遷座されている。
神護寺の昭和復興の際、京都の豪商山口玄洞の寄進により和気清麻呂の霊を祀るために建立されたそうです。
将軍塚とは 、平安建都の際 、王城鎮護のため粘土で作った武将像を西方 を向かせて埋めた 、と伝えられる地点といわれている。冬至の日出 の位置にあり 、冬至の日の太陽はここから上るように見える。平安建都に深く関わった和気清麻呂の墓は 、夏至の日の日入 の位置となる神護寺にある 。そことこことの直線上に平安京遷都時の内裏(現在の京都御所の西側になる)がある。ちなみに、冬至の日入 の方向には松尾神社が夏至の日出 には下鴨神社が建てられている、と言われている。
神護寺を創建した和気清麻呂の御廟。平安時代造営とともに創建されたものです。和気一族に招かれ最澄や空海といった真言宗の基礎を開いた高僧が入山しました。
名前 |
和気清麻呂霊廟 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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神護寺は、和気清麻呂が建てた愛宕五坊の一つで、大同4年(809)から14年間、弘法大師が住持となり真言宗の基礎を築いた。