鹿沢温泉で聞く、雪山賛歌。
雪山讃歌の碑の特徴
1927年に西堀榮三郎が詩を作った歴史的な場所です。
鹿沢温泉の近くに位置し、穏やかな静けさを感じられます。
東御嬬恋線沿いに看板があり、立ち寄りやすい観光名所です。
1927年(昭和2年)1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎(のち第一次南極観測越冬隊隊長)が、天候不良で鹿沢で滞在した際に、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」を話し合い、詩を書いた。それがこの雪山賛歌である。山岳部の仲間内で気に入っていたという『いとしのクレメンタイン(Oh My Darling, Clementine)』のメロディーに言葉を当てはめ、好きなままに詩を作ったということを、西堀自身が後に著書で明かしている。桑原武夫(京都大学人文科学研究所教授)が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税に拠って京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もある。後に、鹿沢温泉に台字を西堀氏直筆にて鹿沢温泉に建立した『雪山讃歌』の歌碑が建立された。
名前 |
雪山讃歌の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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東御嬬恋線を走行中に『雪山賛歌の碑』という看板を見かけ車の往来がなかったので車を左側に寄せて降車してみた。写真を撮り、いろいろ調べてみたら「♪雪よ〜岩よ〜我等が宿り〜」でお馴染みの『雪山讃歌』のようだ。………………1916年(大正15年)京大山岳部が鹿沢温泉でスキー合宿中、退屈まぎれに山岳部の歌を作ろうということになり誕生しました。昭和の初め、鹿沢を訪れた西掘栄三郎氏(第一次南極越冬隊長)らが吹雪に閉じ込められ、退屈しのぎに湯宿で作詞したという。これを記念し昭和46年に台字は西掘氏直筆により「雪山讃歌」の碑が建立されました。