名前 |
法楽寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
新四国88霊場 第13番薬王山 法楽寺(ほうらくじ) [真言宗豊山派]⚫️本尊・薬師如来稲荷神社前の信号を東へ行くと、栄町の信号がある。それを北へ進むと、東武線の踏切の手前に建つ。道路脇に、法楽寺、祈祷法印・開山堂、そして稲荷神社を示す石碑が立つ。その脇に、安政5年(1858)の二十二夜塔など石仏が残り、当時の歴史を知ることができる。脇の道を進むと、右手に法楽寺の境内が広がる。中央に本堂が建ち、左奥にこぢんまりと昭和63年築の開山堂が建つ。境内の道路際には、当時の石仏や石造が整然と並んでいる。その隣には、稲荷神社が建ち奉納旗が鮮やかにはためいている。天正・慶長(1573~1615)の頃、僧の源海が開山する。源海は、村の東にあった薬師鉱泉のそばに東光院を開いたという。 その後、東光院は現在地に移築され、七堂伽藍の整った大寺院、法楽寺となる。正徳・享保(1711~1736)年間、女塚の祈祷法印であった僧の重英が、この寺の住職になった。重英は疫病や災難に対する加持祈祷を行い、村人から“祈祷坊さま”と呼ばれていた。 ある時、疫病が流行っているのを知ると、自ら行人塚に入りその疫病を鎮めた。開山堂の中には、その重英の徳を偲び、50センチメートルほどの真新しい木像が安置されている。《新四国88ヵ所霊場めぐりより》境内は広くはないです。整備されてはいませんが、きちんと手入れはされているようです。本堂右側に仮設トイレがありました。左奥に小さなお堂があり、意外にもパワーありました。手前には稲荷神社があります。二十二夜塔の石仏があるので、女性の信仰が熱かったのかな?納経は徳蔵寺で頂きました。