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名前 |
八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
喜右エ門新田八幡神社(きうえもんしんでんはちまんじんじゃ)御祭神 誉田別命境内社 浅間神社 弁財天社 香取神社羽生市喜右エ門新田の地名の由来は、喜右衛門とは江戸時代にこの地を開拓した者で、そのまま地名となりました。その父の斎藤盛秋は、上杉謙信の命で羽生の地に赴き、武州羽生城を守っていた人物です。喜右衛門新田は江戸時代に開かれた村ですが、その土地からは土師器や古墳時代の土器が出土しています。社殿の裏手には香取神社が鎮座していて、「新編武蔵風土記稿」には「八幡香取合社」と記されています。喜右エ門新田八幡神社の鎮座する地域は、嘗ては神鳥村と呼ばれていました。現在もすぐ近くに「神鳥」というバス停があります。この神鳥という地名は、八幡神社の裏に鎮座する香取神社に由来しています。いつの頃か、香取が訛って、神鳥と呼ばれるようになったといわれています。往時、喜右エ門新田八幡神社の別当は「無量寺」で、嘗ては隣接して建っていましたが、火災のために現在の場所に移転されました。無量寺は、越後の武将「上杉謙信公」の旧臣で、現在地に土着した斎藤民部少輔盛秋の長男で喜右衛門の兄である「内左衛門」を開基とする曹洞宗寺院です。創建は、天正年間(1580)と伝えられています。埼玉県神社庁発行の「埼玉の神社」には、「(無量寺の)焼失年代は不明であるが、今なお神社の裏手を掘ると焼失の際の灰が出てくる」と記されています。境内に祀られている弁天様は、もともとは斎藤喜右衛門の屋敷内に祀られていたものです。また、喜右エ門新田八幡神社内陣には親指位の大きさの神像が四体祀られています。