徳川四天王の墓に静寂のひととき。
榊原康政公墓所の特徴
榊原康政の墓は、徳川四天王の一人を偲ぶ特別な場所です。
夏でも木陰が多く、静かにゆっくりお参りできる環境です。
極彩色の寺の装飾が見られ、歴史的価値が高いスポットです。
【2025年8月24日☀️】館林暑いですね💦40℃🔥館林駅から徒歩で目指します道中、龍の井、清瀧神社、竹生島神社、第一資料館、尾曳神社、お辻の方供養碑によりました。そして遂に御対面!壮観です!三男・康勝さんのお墓もありますね!一番右の大きいお墓が康勝さんだと間違えて、かなり話しかけてました😅まぁ、その左隣に康勝さんがいたから聞こえていたと思う!🌟尾曳神社の奥の花の尾曳弁財天を右に出て、城沼の朝陽の小径→文学の小径を通って榊原康政墓所に近づいて行く経路が安全です!且つ近いかな私は行きは、それより1本外の車も通る道で行ってしまった!🛻道幅が狭く、車も結構走ってる!🔥行って良かったです!遠かったけどね!
どうする家康!?でも話題になっていましたね。いろいろ榊原康政についてその正室については話題になっているそうですね。お墓のとなりは側室のお墓が鎮座しています。正室のものは誰も行方がわからないということで、歴史的ファンの方には議論の的になるポイントなのだそう。それにしても、立派なお寺の向こうに、しっかり立派なお墓だな…と思いながらも、そのハイテクさに驚き。なんとVRでいろいろな体験をすることができます。温故知新というか…笑榊原康政とフォトセッションができると言うのは驚き!笑。
群馬県館林市の善導寺をお参りしました。善導寺で特に有名なのは、徳川四天王の一人であり、初期の館林城主でもあった榊原康政の菩提寺であることです。境内には、康政をはじめとする榊原家5基の墓石が並んでいます。康政の墓は高さ5.46メートルの宝篋印塔で、彼の功績を偲ばせる威厳があります。善導寺は、正式名称を「終南山 見松院 善導寺」といい、浄土宗の寺院です。その歴史は古く、奈良時代の和銅元年(708年)に行基菩薩によって開山されたと伝えられています。昭和の終わり頃、館林駅前広場整備事業のため、駅前から現在の楠町に移転再建されました。この際、境内建物や彫像・彫刻類は可能な限り修復され、約400年前の色調を忠実に再現する努力がなされました。所在地: 群馬県館林市楠町3692
県指定文化財(史跡)榊原康政の墓附同画像所在地楠町3692 善導寺所有者・管理者善導寺指定年月日昭和28年(1953)8月25日榊原康政の墓附同画像石柵で囲われた墓域に、榊原康政・康政の長子大須賀忠政(おおすがただまさ)・榊原二代康勝(やすかつ)・康勝の生母花房氏(周光院)・殉死者南直道の5基の墓石が並ぶ墓所である。康政の墓は、向って左より2番目、高さ5.15mの宝篋印塔(ほうきょういんとう)である。墓石には、正面に「養林院殿上誉見向大禅定門」「慶長十一丙午季五月十四日」と刻まれ、向って右側面には、寛永15年(1638)の康政の33回忌に三代忠次が造立(ぞうりゅう)したことが記されている。大名墓として、また群馬県の近世初頭、特に館林藩の成立過程を研究する上で欠くことのできないものとして、墓所全域の99.2平方メートルが指定されている。昭和60年(1985)、館林駅前広場整備計画に伴い、本町二丁目3番36号より現在地へ移設復元した。なお移転に伴う調査で、康政・康勝・花房氏(周光院)の遺骨が確認されている。(館林市ホームページより)
徳川四天王の一人。家康の江戸入城とともに、館林城主に封じられる。善導寺にある墓所には一族の墓石も幾つか並んでいるが、康正公の宝篋印塔だけが最も大きくて威厳があるのは、さすが…。県の指定史跡になっている。
大きなお寺です夏でも木陰が多くてゆっくりお参りできました。
今日行きました静かででよかったです。
かつて善導寺は現在の東武館林駅付近にあり、康政公らのお墓もそちらにありました。東武線駅の開発に伴い移転が決まり、お墓も発掘調査が行われました。康勝公の骨は骨壷に入っていたそうですが、康政公の骨は火葬の後、直接埋められていたそうです。それでも骨は残っていたといいます。
日光社参の通り沿いにあったからかもしれないが、極彩色の寺の装飾がそれなりに見られる。
| 名前 |
榊原康政公墓所 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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善導寺境内にある榊原康政のお墓。戦国時代三河国の産まれで12〜13歳の時に松平元康(後の徳川家康)に仕えた武将。家康の元で数々の武功を上げるだけでなく関ヶ原の戦いで遅刻した徳川秀忠を家康相手に擁護し徳川家二代を支えた忠臣。本多忠勝、酒井忠次、井伊直政と並んで徳川四天王に今日まで数えられています。徳川家康の東国入国の際に康政は館林城を与えられ新たに城と城下町を整備して館林の基礎を作り上げました。善導寺は康政が榊原家の香華寺に定めたお寺で本堂の裏に康政のお墓があります。墓所には康政以外に殉死した南直道、康政の長男大須賀忠政、康政の三男で榊原家二代当主榊原康勝、康政の側室で康勝の生母花房氏の五基のお墓が並んでいます。康政の御墓は左から2番目。かつて館林を治めた武将の墓前にお線香をあげ手を合わせてきました。