五稜郭の火蓋切る街道、歴史を感じて。
鳥羽伏見の戦い勃発の地碑の特徴
鳥羽伏見の戦いが起こった歴史的な地点で感慨深い体験ができる場所です。
幕末の石碑が点在する伏見地区で、歴史の足跡を感じる散策が楽しめます。
旧小枝橋跡近くで新政府軍と旧幕府の戦闘の史実を実感できる貴重なスポットです。
淀から東寺まで続く街道歩きは見どころ多々。これもその一つ。
当時のものは、もうなにもないが、城南宮との位置関係や川や橋の様子がつかめる。
思ったより小さかったの。
地図で見るとご理解いただけると思うのですが、伏見には幕末の石碑が点在しています。徒歩で1日まわるのは季節によっては厳しいかもしれません。他の方も書かれていますが、鳥羽離宮公園の敷地内にも鳥羽伏見の戦いの石碑が存在します。併せてお訪ねになるのも良いかと思います。地元のタクシーの運転手さんのお話ではここが幕末当時、小枝橋が在った場所との事です。
鳥羽伏見の戦い勃発の地碑ここは鳥羽の戦い勃発の地。滝川氏が率いるフランス仕込みの幕府軍歩兵は最新式の銃に弾も込めずに竹田街道を北に歩きここに小枝橋を渡るために来ている。滝川氏は幕府軍を攻撃する藩などあり得ないとの思い込みだけで御所に向かっていた。しかも、薩摩軍が御所から許しを求めるまでこの地に待てとの言葉を信じて滝川軍はこの地で待っていた。その間に薩長軍は鳥羽に更なる陣の展開を進めた。城南宮に大砲を置いている。この逸話が幕府軍官僚意識を象徴していると思えて面白い。
岩倉具視を中心に薩摩、長州藩(新政府)が発した、王政復古の大号令に反発した会津、桑名藩(旧幕府)は挙兵したが、この付近で薩摩藩が放った大砲を機に、いわゆる戊辰戦争と呼ばれる戦いの火蓋が切られたとの事です。現在は、道路の片隅に、それを示す石碑と説明文があるのみです。
ここから始まったのかと思うと身が締まる思いです。
道路の端の民家の脇にポツンとあるだけで当時の面影を知ることは難しいです。
ある方が 言っておられたが、鳥羽伏見の戦い!を一緒くたにしているが、実は 別々の戦場であって 鳥羽街道側は此処であって、伏見街道側は 御幸宮辺りであったらしいです。ばあちゃんからの言い伝えで、母から聞いたのですが、それはそれは 凄まじく 激しい戦いだったらしいです!
名前 |
鳥羽伏見の戦い勃発の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu059.html |
評価 |
3.8 |
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この場所で五稜郭の戦いまでの戊辰戦争の火蓋が切って落とされたんやなそう思うと感慨深いものがありますな。