鳥取砂丘を一望!
鳥取縣護国神社の特徴
鳥取砂丘を一望できる高台に位置しています。
英霊23,468柱をお祀りする神聖な場所です。
九二式重機関銃などの展示が神殿横にあります。
☆全国護国神社参拝☆25.11.27 鳥取市にあり、鳥取砂丘を見渡せる高台にある護国神社。ここから眺める砂丘もきれい。参拝者駐車場もある。護国神社で多く見かける翼廊造りがかっこいい。英霊への感謝を報告し清々しい気持ちで参拝できた。私が行った時には社務所に神職がいらっしゃり御城印を書き込んでいただけた。
鳥取県出身の英霊を祀っています。神社の下には鳥取砂丘が見えます。普段はほぼほぼ無人とのことらしいですが、事前連絡を行って、全国護国神社御朱印帳に記帳して頂きました。本当にありがとうございました。
鳥取砂丘が一望できて素敵な所でした御朱印をいただいて来ました。
平日13時頃に参拝させていただきました。正面に砂丘と海が見え、とても気持ちの良い風が吹いていました。社務所は無人ですが、書き置きの御朱印があります。戦後80年、英霊の御霊に哀悼の誠を捧げました。同世代には護国神社を知っている人がほとんどいないことに危機を感じます。他の方も書かれていましたが、他県の護国神社に比べると、市街地から離れた場所で無人でもあり、少し寂しい感じもしました。今後は若い世代が恒久の平和を祈りながら守っていかねばならない場所だと思います。社務所下に砂利の駐車場がありますが、駐車場までの道が狭い為、対向車に注意が必要です。
英霊に哀悼の誠を捧げます参拝したのですが、宮司さんは滞在しておらず書き置きの御朱印をいただきました。筆ペンとスティックのりで仕上げ思ったより規模は大きくないですが、居心地の良い空間でした。駐車場から鳥取砂丘も見えたので行く必要を感じず、かろいちに行きます。
鳥取砂丘の北側、その多くが遠望出来る丘の上にご鎮座のこちらさま。境内も大きく、慰霊碑も沢山あります。非常に暑い日中でのお詣りでしたので、参拝客も居らず、社務所もお留守でしたが、綺麗に書かれたご朱印が丁寧に箱に入れられ、社務所前に置かれていました。全国護国神社巡りでお詣りさせて頂け、ありがっ様です。
鳥取砂丘の入り口の高台にあります。バスでは子供の国入り口というバス停で降りればすぐです。入り口の鳥居まではかなりの急勾配をのぼります。戦没者のご芳名や戦争の遺品などが安置されていました。護国神社はどちらにおうかがいしても、厳かな、ピンとはりつめた空気感を感じます。鳥取と言えば鳥取砂丘、そんな場所を望むことのできる場所にあり、ぜひ鳥取砂丘に行かれる方はお参りしていただきたいと思います。もちろん観光気分ではなく参拝していただきたい場所です。御朱印もいただきました。300円でした。
専用帳へ御朱印をお書き入れ戴きました。社務所前から砂丘が見えました。駐車場、トイレあります。
英霊23,468柱がお祀りされています、鳥取砂丘も近く境内より一望できます、九二式重機関銃、擲弾筒などが、神殿横に展示してありました、感謝の気持ちで参拝しました。
| 名前 |
鳥取縣護国神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0857-22-4428 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
〒680-0001 鳥取県鳥取市浜坂1318−53 護国神社 |
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1487.2023.09.05社号標や大鳥居の向かいに小さな駐車場がありますが、ここから境内までは結構な距離があります 。しかも境内までずっと坂道です 。大鳥居をくぐりまして参道を上がって行きますと境内の手前にも駐車場があるのでこちらをお薦め致します 。坂道の途中には比島戦没者慰霊碑や陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑などの碑がありますが境内にはありません 。灯篭や狛犬さん、手水舎なども境内に入る前にあり境内には何もありません 。回廊形式の社殿にも飾りは一切なく無機質ですが厳かな感じは健在です 。社務所も坂の途中にございまして御朱印を頂くことができました 。坂道を上がって来る途中に何ヵ所か鳥取砂丘を見渡せるポイントがございますが、結局のところ社務所の脇が一番のビューであります 。1868年 (明治元年) 邑美郡古市村大字郭台に仮の祠を設け藩主池田慶徳が祭主となって戊辰の役に戦没した鳥取藩士の招魂祭を斎行する 。これが起源となっております。1870年 (明治3) 邑美郡浜坂村大字代々山で招魂祭があり、ここに社殿が建てられ創立 。1875年 (明治8) 池田家より鳥取県に移管され鳥取招魂社 と改称がなされている 。1879年 (明治12) 鳥取町西町に移転し西南の役の従軍戦没者を合祀をしている 。1897年 (明治30) 現在の鳥取東照宮 の付属地に移転し、日清日露戦争はじめ数度の国難に殉じた英霊を合祀をしている 。1939年 (昭和14) 官祭護國神社の指定を受け鳥取縣護國神社 と改称がなされている 。1940年 (昭和15) 社殿神域ともに整備され旧本殿は 菖蒲神社 に譲渡がなされる 。1946年 (昭和21) 軍事主義施設という GHQからの指摘を避けるため 因伯神社 に改称する。1947年 (昭和22) 鳥取市寺町の火災による飛び火を受けて社殿を焼失するが鳥取県立智頭農林高校の 旧奉安殿 の譲与を受け本殿としている 。1952年 (昭和27) 日本の主権回復に伴い社号を元の 鳥取縣護國神社 に復称している 。1955年 (昭和30) 伊勢神宮・別宮 倭姫宮 の譲与を受けて改築をしている 。旧本殿は 山手神社 の本殿として譲渡する 。1974年 (昭和49) 現社地に新設して遷座する 。伊勢の 神宮 より譲与された旧本殿は霞神社 の本殿として譲渡がなされている 。戊辰戦争から大東亜戦争までの国難に殉じた鳥取県ゆかりの軍人・軍属・従軍看護婦などの御神霊23478柱を祀っております 。..* 奉安殿とは *戦前の日本において天皇・皇后の写真を収めた「御真影」と「教育勅語」の保管をした学校敷地内の独立した建物であります 。1920年代後半から30年代にかけて全国の学校に普及し軍国主義教育の象徴的な場所として通行時の最敬礼が義務付けられていました 。