歴史感じる倭文神社の静寂。
倭文神社 (上野国九宮)の特徴
倭文神社は延喜式内社として格式が高く、歴史を感じる古社です。
赤城山の壮大な景色が楽しめる、自然に囲まれた神社です。
新田万次郎が揮毫した扁額や双体道祖神も保存されている貴重な場所です。
利根川の氾濫で上社、下社が分断されたとも聞きますが、このように残り地元に根付いていて歴史を感じることができました✨ここから見る赤城山は雄大です✨
倭文神社。「しどりじんじゃ」と読む。群馬県伊勢崎市東上之宮町に鎮座。祭神は天羽槌雄命(あめのはづちのみこと)。この社格は旧郷社、延喜式内社、上野國九宮。垂仁天皇の御代に創建と伝わる古社。上野国神名帳には「従一位倭文大明神」と記載される。江戸幕府三代将軍徳川家光より十石の朱印地を賜る。祭神の天羽槌雄命は、機織りの神様である。特殊神事として田遊び神事が行われる。御朱印あり。中央の印には神代文字が刻まれている。こちらの神社は高山神社の宮司さんの本務社にあたり、高山神社に宮司さんが詰めている日時をお伺いし、そちらで頂きました。
倭文神社は延喜式内社に記載されている古社で、上野国の九ノ宮と言う格式を持っています。基本的には集落の氏神的な小さな境内ですが立派な神楽殿などにはやはり格式を感じます。周辺は今は工場や倉庫が立つ一帯ですがはるかに昔は栄えた立地だったんでしょうか……⁉️
延喜式神名帳の上野國那波郡の項に記載のある式内社で、上野國九宮。通称「上之宮」。御祭神は社名のとおり、天羽槌雄命。社伝によると、垂仁天皇の御代の創祀という古社。玉村町下之宮に鎮座する火雷神社が香々背男を祀るとすれば、当社とは対の関係にある。
式内小社、上野国九宮。旧郷社。主祭神:天羽槌雄命(あめのはづちのおのみこと)。創建:第11代垂仁天皇3年(社伝)。倭文神社(しどりじんじゃ)は、利根川左岸に鎮座しており、右岸に鎮座する火雷(からい、ほのいかづち)神社(上野国八宮、下之宮)に対して「上之宮(かみのみや)」と称されています。鎮座地の地名「上之宮」は当社に由来するとされていて、利根川を挟んで「下之宮」の火雷神社と対峙しますが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったとのことです。当社の御祭神は、天羽槌雄命(あめのはづちのおのみこと)で、天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったそうです。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物のことだそうです。「シドリ」とは「シズオリ」の略で、天羽槌雄命は平絹を織る部民・倭文部(しどりべ)の氏神だそうです。これより、倭文部が当地に移住して天羽槌雄命を祀ったとする説があります。また、『和名抄』には「那波郡倭文郷」の記載がありますが、これを当地と見る説もあるそうです。東にある別の鳥居は、広々とした公園緑地の「倭文の郷公園」に面していました。
人影の無い神社ですが、創建は垂仁天皇の時代ですから歴史があります。拝殿には千社札が貼られていました。
歴史を感じる村の神社。上野国延喜式内の九之宮。宮司さんは不在ですが、電話連絡でお願いすると駆けつけて御朱印を直に書いて頂けます。感謝。
しどりと読みます平安時代以前に建立された歴史のある神社境内は小さめながら歴史の重みが感じられる神社でした。
歴史ある村の神社という感じの神社です十二社という格式高い神社で氏子さんから崇敬されているところですね。
名前 |
倭文神社 (上野国九宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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飾り気はないものの重々しさがある社殿に古さを感じる。ひとつ気になるのが、社殿の後ろの注連縄を張った岩。巨大ではないが、だからと言ってちょっとやそっとでは動かせそうもない大きさだから余計に謎めいている。「磐座」なのかも知れない。大きな鎮守の森には銀杏の大木がやたらと目立つ。