驚きの竪堀、歴史感じる花園城。
花園城跡の特徴
藤田氏代々の居城で、歴史を感じられる点が魅力です。
関東管領・山内上杉氏と深い関係がある城跡です。
竪堀や横堀が特徴的で、見応えのある遺構が存在します。
花園城は関東管領・山内上杉氏の重臣、藤田氏代々の居城として知られています。その後、北条氏邦を養子に迎えて本拠を鉢形城に移してからは支城として使われたようです。氏邦に家督を譲った藤田康邦の隠居城だったともいわれます。秩父谷への街道を抑える重要な支城でしたが、1590年(天正18年)の「小田原征伐」の際に廃城になりました。登城口は秩父鉄道側の山麓にある諏訪神社にあります。途中から枯れ葉だらけの急勾配の道を登る事になるので登山靴は必須です。帰りは枯れ葉に足を滑らせないよう細心の注意が必要です。遺構は竪堀、掘切、石垣が残っています。数年前に来たときは藪の中を登った記憶があるのですが、今は道も整備され、道案内の印があるので迷う事はないでしょう。シンチャンの展望台より少し先に進んだ所の方が眺望は良いです。
藤田氏の居城で竪堀や横堀を組み合わせた作りが同じ藤田氏の近隣の千馬城に似ている登口に詳しい縄張り図があり非常に助かった神社裏の竪堀を登ることで本丸に到達するが誤って左側の竪堀から登ろうとして滑り落ちそうになったりいらない苦労をしてしまった沢山の竪堀と岩盤を掘り切った跡が特徴的だった。
竪堀や石積の遺構が沢山残っており、曲輪も小さいものも含めると数多く存在しているようです。山城好きの方にはおすすめですね。登山口には縄張り図が置いてあり頂いて見ながら現在地を確認しながら登ることができました。私は後期高齢者ですがそれほど大変ではなかったですよ。ただ、郭名の看板があるともっと良かったと思います。
秩父鉄道の波久礼駅か寄居駅から徒歩30分くらいで登城口の諏訪神社に到着する。田園の風景を楽しみたいなら波久礼駅からをお勧めする。諏訪神社の入口には見所と縄張を記載した紙が用意してあり、非常に有難い。また、右手の机の引き出しには御城印まで用意してあり関係者の方々のご厚意が胸に沁みる。諏訪神社から程なくして二重竪堀に出る。10分程度の直登だが、右手には腰郭や石垣もあり興味は尽きない。竪堀も長く、よくぞここまでと感心する。直登後はニの郭と三の郭間の大堀切。右手は三の郭と東の郭。それを巡る堀切や竪堀など、見所満載だ。左手はニの郭。堀切からの登りが急なので滑らないように注意を。二の郭と本郭間の大堀切は圧巻!なかなかの眺めを楽しみたい。本郭は展望を望めないが造作が面白い。恐らく岩盤を削って北側は削り残し、その下を削平して平場としている。削り残し部分は単なる土塁上としては広いので、櫓などの建物があったのだろうか?城址碑の先から堀切5に降りるが、かなり急斜面。ロープが張ってあり助かる。堀切を進むと竪堀があり、南を巡って行けば諏訪神社からの二重竪堀に出る。この場所は、本郭に直結するため、特に石垣で固められていることから、防御のための丈夫な構造物(門?)があったのかもしれない。遺構がよく残っていて、個人的には近くの小倉城や青山城よりも大層面白い。構造的にも見所が多い。これだけの規模の遺構を整備されている地主さんや関係者の方々には本当に頭が下がる。本当に有難うございます。
登城口の案内板があり、案内図や城跡の紹介図もありました!神社から登って行きます途中竪堀を登る所が大変でした!トイレや駐車場が無いので路上駐車でした!遺構は良く残っています。整備がされていないので良く見ないと見落としがちです。
諏訪神社の横の山道から、もはやほとんど藪の中の結構な急傾斜を登った果てに石塔が建っている。堀切や石積みの遺構らしきものはあるものの、もうほとんどわからない。登る時は比較的目立つように木々に吊るされた蛍光ピンク色の目印に沿って行かないと確実に遭難する。そして、なんと猪🐗家族にも遭遇。気をつけた方がいい。
諏訪神社の東にある稲荷社の脇から登城路が細いながらもあり、暫く行くと頭上に竪堀の下端が見えて来ました。 登城路が西へと続いているのでさらに進むと、竪堀に突き当り、ここからよじ登ることにしました。 暫く登ると右手に竪堀が見え、さらにその東に横堀があります。 この横堀の東面と北面には石積みが見え、板の様な薄い石が積み重なっています。 主郭は東西に長く結構広い曲輪で、ここは整備されて歩き易いですが、その他の曲輪や登城路は整備されていないので、誰でも登城できる雰囲気ではありません。 竪堀と横堀がこれ程見事に残り、組合せの妙も見られるこの城は、鉢形城より貴重ではないかと思える位ですが、余り話題にならないのは、登城路が整備されていないのと、曲輪も整備されていない事によるのでしょう。 それでも絶対に見学する価値の高い城址です。 駐車場から主郭まで40分。 (2011年登城)
遺構の残存状態が素晴らしい。実戦の歴史も有り、見るべき城跡の一つと思う。
埼玉県寄居町にある、日本百名城の鉢形城の支城、花園城。この城は武蔵七党猪俣党の一族で関東管領上杉氏の重臣であった藤田氏の居城で、当主泰邦が没した際に後継者問題から北条氏康の四男、氏邦が入り婿として入り、鉢形城へ移るまでの間、藤田家の本城として使われ、支城となった後も小田原攻めで鉢形城が落ちるまで430年に渡り使われた城です。鉢形城より一回り小さい印象ですが、個人所有の土地であることからか、下草刈りや案内板の整備などが殆どされておらず、軽い薮漕ぎしながらの見学でした。犬走りを歩き回って色々見ようとしましたが、落ち葉が滑ってかなり危うく、行きも帰りも誰にも会わないような山城なので、もし怪我でもしたら何日か放っておかれそうな雰囲気なので断念。それでも、曲輪や竪堀、堀切等は残っていて、整備すれば面白い山城であろうと思います。駐車場はないので、路肩に駐めるように説明板にかいてあります。
名前 |
花園城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.town.yorii.saitama.jp/site/rekishikan/hanazonojyouato.html |
評価 |
4.0 |
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どの郭、どの竪堀、どの堀切もメリハリがあって、規模も大きくて、心底驚いた。コース上の枯れ葉が一様にペシャンコに踏み付けられていることが、探訪者の多さ、すなわち人気のほどを物語っている。迷わず、安全に一巡出来るように、コースの至る所におもてなしの心遣いが感じられる稀有な城跡…。三度の飯のつぎに山城が好きなマニアの本音としては、この種の城跡が爆発的に増えると、大助かりなんだがなあ~。冗談はさておき、日頃から管理に心血を注がれている方々に、この場をお借りして感謝申し上げます…。どうもありがとう。2025/2/8