醸し出す静かな神社、みか神社。
瓺蕤神社(みかじんじゃ)の特徴
醍醐天皇の延喜式神名帳に記載された由緒ある神社です。
本殿の奥に設けられた拝殿が特徴的な神社建築です。
みかとは酒を醸す甕を意味し、神社に由来があります。
広々としてます。
漢字変換が難しそうな文字の神社に惹かれて訪問駐車場は狭い道をいったところに2台ほど、特に特徴はないけど、静かで落ち着く神社でした。
延喜式内小社。名前からして由緒がありそうだ。埼玉北部から群馬にかけては多くの古墳があることから、古くから開けていたことがわかる。今は少し寂しいが、杜に囲まれた雰囲気の良い神社だ。
拝殿の奥に本殿がある神社建築です。鳥居の所に御朱印の案内が掲示してあります。
醍醐天皇の延喜式神明帳にその名が残っている。社に歴史を感じさせてくれる立派な神社です。神社の入り口に石碑が立っている。「麦刈りて桑の木ばかり残りけり 芭蕉」昭和58年建立今は桑の木はないが、麦畑は黄色に色付き始めている。懐かしい風景である。「みか」とは酒を造るためのカメの事で、御神宝とされていた土師器のミカが4個保存されているという。
延喜式内社。境内に隣接している宮司宅で御朱印を頂こうと訪問しましたが、不在😱😱鳥居の入口に雨に濡れて字が薄くなった案内に「御朱印は宮司宅で茶色の家に」とあり、さらに隣の茶色の家に伺うつもりでいたら、外に草むしりしている老婦人が…話かけると宮司宅の人でした。宮司さん不在だけど、跡継ぎの勉強中の息子さんが書き置きを渡してくれました。老婦人と、息子さんに感謝です。初穂料¥200
瓺𦼆神社(みかじんじゃ)御祭神 櫛御気野命 櫛瓺𦼆玉命合祀神 大山咋命 宇賀能御魂命 天宇受女命 佐田比古命 迦具土命 須佐之男命境内社 産泰神社 諏訪神社 天満天神宮 神明神社 蚕影神社 山王神社 松尾神社境内末社 古峯山 鹿島社 稲荷社 愛宕社 天手長社 大雷社 天照太神 少名彦名神 倉稲魂命 大己貴命 埴安媛命 弁天社由緒瓺𦼆神社の創立年代不詳ですが、醍醐天皇の「延喜式神名帳」に登載されている古い社で、祭神に櫛御気野命、櫛瓺𦼆玉命の二神が祀られています。瓺𦼆神社は那珂郡総鎮守として崇敬を集め、江戸時代の享保八年(1723)に正一位を授けられたと伝えられ、宝暦八年(1758)に建設された境内の碑にも「正一位みかの神社」とあります。現在の社殿は宝暦十三年(1763)に再建したもので、これを記した棟札が残っています。明治初年(1868)に村社に列格、明治三十七年(1904)には県社に昇格しました。明治四十年(1907)に三島社・稲荷社・八坂社を合祀しています。社名の「みか」とは、酒を造るために用いた大きな甕(かめ)のことで、現在瓺𦼆神社には、御神宝とされていたと思われる土師器のミカが四個保存されています。以前は秋の例祭に新米で濁酒を二瓶造り、それを神前に奉納して、その一つは翌年春の参拝者に分け与え、その一つは秋の例祭のときに新調したものと交換していました。現在は清酒を奉納し、これを御供物として参拝者に分け与えています。(「境内案内板」及び「埼玉県掲示によるみか神社の由緒」より)御祭神の「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」は一般に「素戔嗚尊」の別神名で、「櫛𤭖玉命(くしみかたまのみこと)」は一般に「大物主神」を表します。那珂郡は現在の児玉郡美里町と本庄市児玉町秋山・小平地区に相当します。「風土記稿」による由緒当郡(那賀郡)の鎮守なり。延喜式神名帳に載る所のみか神社にして、武甕槌命を祀れる所なりと云。させる旧記もなければ、其證跡を得がたけれど、郡中外に古社とおぼしきものも見えず。且社地の様古木あまた生立て、いかにも神さびて見ゆればさもあるべし。今安ずるところの神像は寛政十年(1798)大興寺現住の寄附なり。(「新編武蔵風土記稿」参照)
延喜式内小社(武蔵国那賀郡)。旧懸社。御祭神:櫛御気野命(くしみけぬ)、櫛瓺𦼆玉命(くしみかたま)。創建:年代不詳ですが、平安時代以前。資料によると、社名の「みか」とは酒を造るために用いた大きな甕(みか(かめ))のことで、現在、当社に御神宝とされていたと思われる土師器のみかが四個保存されている。近くには神池である「摩河の池」を中心に古代祭祀が行われていたものとされ、周辺には広木古墳群の他にも埴輪窯跡・竪穴住居跡なども発掘。当社の祭祀集団は神酒づくりにかかわる土器=ミカを製作した出雲族の集団であったと推定される。とありました。往古創建の印象は大分固まって来たのですが、その時代のこの土地で、創建にかかわった豪族などの情報があれば、かなり納得のいくことなのでしょうがと探していたら、次の様な有力情報がありました。ここからちょっと南にある万葉(奈良時代)歌碑のある伝大伴部真足女遺跡の案内に、檜前舎人氏が出てきて、檜前舎人部は遠江、武蔵、上総などの国に点定されていて、武蔵国にあっては加美・那珂郡(現在の埼玉県本庄市)に分布している。太田亮氏の『姓氏家系大辞典』によると、檜前舎人直は、出雲臣(おみ) の族で、檜前舎人部の伴造(ともの みやつこ)家であり、武蔵国造の族とある。しかも土師氏と同族とある。とありました。那賀郡としての、平安時代以降は、同所は武蔵七党猪俣党の発祥地とされています。社号の漢字についてもなぞの多い、みか神社です。ここ埼玉県児玉郡美里町広木の辺りは、広木大町古墳群(7世紀ごろ)をはじめ多くの古墳が点在し、十条条里遺跡(大化の改新(645年)の制により実施された班田収受法の遺跡)なども近くにあり、中世の鎌倉街道上道である事より以前から、古代万葉の里といった趣のあるところみたいです。二つの万葉遺跡(伝大伴部真足女遺跡や曝井(さらしい)の遺跡)、延喜式内神社(みか神社)、古代住居跡、古墳群などこの一帯を歩いていると、土地の様子は奈良盆地を歩いているような錯覚をおぼえると表現している著者もいる程だそうです。
パワハラ中学教師の桜井先生がいる神社です中学時代にお世話になった人はお礼参りに参拝するのもいいかもしません。
名前 |
瓺蕤神社(みかじんじゃ) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0495-75-1324 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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みか神社。児玉郡美里町広木。旧那賀郡の総鎮守。式内社(小)武蔵国那珂郡 1座。旧社格は県社。主祭神:・櫛御気野命(くしみけぬのみこと)、素戔嗚尊の別名。・櫛甕玉命(くしみかたまのみこと)、大物主神の別名。資料によると、創建:年代不詳ですが、飛鳥時代末期ごろ。社名の「みか」とは酒を造るために用いた大きな甕(みか(かめ))のことで、現在、当社に御神宝とされていたと思われる土師器のみかが四個保存されている。近くには神池である「摩河の池」を中心に古代祭祀が行われていたものとされ、周辺には広木古墳群の他にも埴輪窯跡・竪穴住居跡なども発掘。当社の祭祀集団は神酒づくりにかかわる土器=ミカを製作した出雲族の集団であったと推定される。とありました。ここからちょっと南にある万葉(奈良時代)歌碑のある伝大伴部真足女遺跡の案内に、檜前舎人石前(6世紀)が出てきて、檜前舎人部は遠江、武蔵、上総などの国に点定されていて、武蔵国にあっては加美・那珂郡(現在の埼玉県本庄市)に分布している。太田亮氏の『姓氏家系大辞典』によると、檜前舎人直は、出雲臣(おみ) の族で、檜前舎人部の伴造(ともの みやつこ)家であり、武蔵国造の族とある。しかも土師氏と同族とある。とありました。那賀郡としての、平安時代以降は、同所は武蔵七党猪俣党の発祥地とされています。社号の漢字についてもなぞの多い、みか神社です。ここ埼玉県児玉郡美里町広木の辺りは、広木大町古墳群(7世紀ごろ)をはじめ多くの古墳が点在し、十条条里遺跡(大化の改新(645年)の制により実施された班田収受法の遺跡)なども近くにあり、中世の鎌倉街道上道である事より以前から、古代万葉の里といった趣のあるところみたいです。二つの万葉遺跡(伝大伴部真足女遺跡や曝井(さらしい)の遺跡)、延喜式内神社(みか神社)、古代住居跡、古墳群などこの一帯を歩いていると、土地の様子は奈良盆地を歩いているような錯覚をおぼえると表現している著者もいる程だそうです。尚、みか神社の参道は、国道254号線を渡って南下した先、旧・鎌倉街道上道とのT字路のところになります。参考として、ヤマトタケルの東征云々は語られぬ、出雲族の武蔵国造の族としての創建を推定。知々夫国造(4世紀)では無く、土師氏(5世紀)と檜前舎人氏(6世紀)の関与が濃厚。古代祭祀に関与した奉斎集団の古墳群、広木大町古墳群(5世紀後半から7世紀代)などや、「みか神社前遣跡」は、6世記の竪穴住居跡で、埴輪が出土していることなどから6世紀前後と想定。