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御祭神:建御名方命(たけみなかた)。創建:安土桃山時代。資料によると、社伝によると、天正十年(1582年)武田家滅亡の際、家臣の高柳隼人及びその一族が、武蔵国榛沢郡滝瀬郷北堀田に落ち延びて土着した。そこで、もとより信仰していた信濃国の諏訪大社をこの地に勧請し、一族の祈願所としたのが当社の始まりである。以来、武門の崇敬するところであったが、慶長十八年(1613年)に至り、北堀田の鎮守となった。(中略)なお、当社は「中山道分間延絵図」に、中山道からしばらく北に入った所に「滝瀬村之内字北堀田、諏訪明神」と書かれている。とあります。ここ北堀田は、元は武蔵国榛沢郡滝瀬郷とあり、戦国時代までは武蔵七党丹党の滝瀬氏の本貫地だったそうです。滝瀬氏は丹党安保氏の支族で、丹党・児玉党・猪俣党など武蔵七党の多くが南北朝時代、南朝についたため、弱体化、あるいは没落していったが、安保氏は北朝に属して戦った為、他の氏族と違い、所領を永く維持する事に成功している(早くに丹党から独立した氏族と言える)とあります。戦国期の安保氏は在地土豪を家臣団として編成し、小大名的な存在にまでなっていたが、永禄12年(1569年)、武田信玄の御嶽城攻略を最後に姿を消す事となるとあります。その武田家も滅亡後の安土桃山時代になって、家臣一族がこの地に土着し、諏訪信仰が根付いたのだと思われます。備前渠川と元小山川・小山川に挟まれた田園地帯でのどかな地帯なのですが、神社のすぐ前を県道45号本庄妻沼線が通っていて、かなり交通量がありました。