木宮神社座祭、心に響く古の祭。
木宮神社の特徴
渡瀬木宮神社座祭は十月に行われる、貴重な伝統行事です。
自然豊かな環境にあり、木々に囲まれた静かな神社です。
本殿や拝殿の見事な彫刻が魅力の、歴史深い神社です。
渡瀬木宮神社(わたるせきのみやじんじゃ)御祭神 句句廼馳神埼玉県選択無形民俗文化財「木宮神社座祭」木宮神社座祭は、木宮神社で十月に行われる、関東地方においても類の少ない古式の祭です。座祭は、渡瀬の草分け百姓と伝えられる旧家が、本家筋(真取り)と分家筋(鼻取り)に分かれて組を作り、一年交代で頭屋を務めて行われます。座祭は、江戸時代の慶長年間(1596~1615)に須藤新兵衛が神田弐反歩を奉納して、ここから採れる神米で祭を賄ったことに始まったと伝えられています。座祭は、「座奉行」が一切を取り仕切り、拝殿に対して「一の座」、左側に「二の座」、右側に「三の座」の三つの座が設けられ、それぞれの座の中央に「本座」があり、稚児により順次御神酒・赤飯等が給仕されます。祭の最後に新旧頭屋が中央に対座し、引渡しの儀式を行い祭の全てを終了します。(境内案内板より)神川町指定民俗資料「渡瀬の獅子舞」渡瀬の獅子舞は、稲荷流といって藤岡市の大塚から、二百年程前に伝授されたといいます。その昔、渡瀬に流行病があった時に、厄払いとして松山稲荷に獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられています。獅子舞は、春祭(四月中旬)と秋祭(十月中旬)に木宮神社で行われ、八坂神社の例祭(七月下旬)にも奉納されます。(境内案内板より)座祭の案内板にある渡瀬の草分けの旧家や、慶長年間に神田弐反歩を奉納した須藤家については、須藤家系図に「永享十二年(1440)須藤伊与守が信州諏訪より移住し、渡瀬村を開白す」とあり、また児玉郡誌に「渡瀬村の木宮神社は、永享年間(1429~1441)に須藤伊与守・原大学・山口上総介・田中膳道・矢島左馬之助・大谷内蔵人、等の協力によって興隆す」とありますから、座祭が始まるよりずっと以前、渡瀬地域が始まって以来今日に至るまで神社が存在していたことになります。(ブログ「古社への誘い」参照)武蔵国の北辺に位置する賀美郡は地形上利根川や烏川、または神流川を隔てて上野国との繋がりが古来より頻繁な地域で、神川町も神流川を中継して鬼石町との交流が盛んな地域でした。この神流川流域の狭い空間にある古社(金鑚神社、鬼石神社、土師神社、丹生神社、木宮神社)は共通した文化圏を形成していたと考えられ、その関連性が注目されています。万物は火・水・木・金・土の五種類の元素からなるという五行説で見ると、木宮神社は木の神である句句廼馳神を祀り、火(鬼石神社)・土(土師神社)・金(金鑚神社)・水(丹生神社)と順じて祀られたものとも古老は伝えています。(ブログ「古社への誘い」及び「古社巡拝録」参照)
木に囲まれた自然豊かな神社です。
ロケーション的に小さな神社を想定していましたがワリと大きな神社で、本殿の彫刻が見事で綺麗です拝殿も見事な彫刻が施されていて、また境内には遊具もあり地元の人たちに親しまれているのだろうと感じました。
旧村社格。社号額の文字は伊藤博文揮毫によるものとか。
風変わりな座祭りの風習の残る神社。
名前 |
木宮神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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旧村社。御祭神:句句廼馳神(くくのち)。創建:年代不詳。由緒の案内板が無く、創建などの歴史が分かりません。資料によると、武蔵国の北辺に位置する賀美郡は地形上利根川や烏川、または神流川を隔てて上野国との繋がりが古来より頻繁な地域であり、神川町もまたつい最近まで神流川を中継して鬼石町との交流が盛んな地域であったようだ。この神流川流域の狭い空間にある古社(金鑚神社、鬼石神社、土師神社、丹生神社、木宮神社)には共通した文化圏を形成していたと思われ、その関連性も注目される。神川町渡瀬地域にはこの木の神である句句廼馳神を祀る木宮神社が鎮座している。とあります。木宮神社の拝殿上部に掲げてある社号額は、この地の実業家である原家の別荘に来訪した伊藤博文の書であるそうです。(神社からちょっと西に行った所に、天神山(原善三郎別邸)と言う私邸の庭園があります。)例祭として、4月中旬の日曜日に行われる「渡瀬の獅子舞」(町指定民俗資料)、10月14日開催の「木宮神社座祭」(県選択無形民俗文化財)の案内板はしっかりと掲示されていました。関連情報:二ノ宮「金鑚神社」、「鬼石神社」、藤岡市「土師神社」、阿久原「丹生神社」。