鬼石から探る真下城の歴史。
真下城跡の特徴
真下伊豆守吉行が築いた山城の歴史に触れられる場所です。
遺構残存度が高く、当時の面影を感じられます。
鬼石総合グラウンドから徒歩20分のアクセスが便利です。
真下伊豆守吉行により築かれ、真下吉清のとき、平井城落城の余波で北条氏により落城させられたと伝わる山城です。もっともポピュラーな登山口は南側の国道462号にある登山口表記からだと思いますが、①少しでも高度を稼ぎたい。②先人のレポで入口が分かりにくいとある。という理由から、東側の尾根を登るアプローチを取りました。自動車は北向稲荷の裏手に一台くらいなら停められそうな空間がありました。そこから上は、コンクリート鋪装こそされていますが、斜面が急なところがあり、四駆車等でないと登坂は厳しいと思います。コンクリート鋪装の道を少し登るとその先に鉄塔が現れます。鉄塔の脇を抜けて竹林を抜けると山に入ります。明確な登山道はありませんが、山が綺麗めなのと、尾根道なので迷うことはないかと思います。東端の“すて曲輪”に至ると「真下城跡まで100m」の案内板が設置されています。毎度のことですが、一般の方には「本丸(主郭)こそ城」であって、その他は城では無いと言ってるように思えてならないですね、こういう案内板は。設置されていることはとてもありがたいのですが。すて曲輪を抜けるとコの字に深い堀に囲まれた東郭が現れます。一目で戦国期のものであると分かるような深さと鋭さです。明確に遺構が残っているのも素晴らしいです。東郭は南側に回り込んで虎口を設けています。更に西側に主郭がありますが、一度、主郭南側の腰郭を経てからの進入になり、防御の堅さを示しています。主郭は西側に土塁を残し、その西側に堀切を挟んで西郭。西郭の西は堀切になります。西郭から西は不整地な曲輪があり、水の手郭とされています。水の手郭からは南斜面を下るように「登り石垣」ならぬ「登り土塁」のような地形があります。土塁なのか、尾根なのか、尾根の掘り残しなのかは判然としませんが、かなり大規模なものです。全体的な印象としては、簡素な作りの中に、中心三郭(西郭・主郭・東郭)だけはかなり凝った作りをしており、ここだけ後にしっかり作ったような印象を受けます。南麓の宅地の付近に居館跡が想定されているようです。遺構も素晴らしく、東尾根ルートだと薮をくぐることも無いので、とてもおすすめな城跡です。
興味ある山城跡。
鬼石総合グランドに車を止め、国道にある真下城650mの看板をたどり神社の右側から登り、沢を渡ると道が不明瞭になります。山添に東に行く踏み跡もありますが、沢沿いの急斜面を直登しました。右杉林の中には左右に登る踏み跡らしきものがありますが、とにかく上に登ると城跡に着きます。東側に登り尾根から登るルートがあるようですが、不明瞭で何度も登り確認しないとわからないです。城跡は杉林の下で歩きやすいです。遺構は良く残っています。なかなか登るのは大変な城跡です。
遺構残存度が高い。
こいつ割り箸の敵。
城跡まで、鬼石総合グラウンドから歩いて20分程度です。ルートの所々に案内看板があります。小さい神社の後ろに砂防ダムがあり、そこから山道となりますが、真冬でも道が草で隠れてしまっているので、注意してください。ルートは、砂防ダムから城跡に向かって(北)急な斜面を直登するのではなく、北東に向かって比較的なだらかな山道を登って行き、尾根にでてから西に進む感じでした。遺構は完存しており、堀切などは見事です。
城跡まで、鬼石総合グラウンドから歩いて20分程度です。ルートの所々に案内看板があります。小さい神社の後ろに砂防ダムがあり、そこから山道となりますが、真冬でも道が草で隠れてしまっているので、注意してください。ルートは、砂防ダムから城跡に向かって(北)急な斜面を直登するのではなく、北東に向かって比較的なだらかな山道を登って行き、尾根にでてから西に進む感じでした。遺構は完存しており、堀切などは見事です。
名前 |
真下城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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東側の北向稲荷大明神から登りました。鉄塔を過ぎるとすぐ竹林で倒れた竹が道を塞いでいます。その先も倒木があり大変ですが、ピンクのリボンの目印もあり迷う事なく進めます。いくつかの平地と空堀が確認できます。本廓の中央には石祠があります。