弁慶が汲んだ井戸水の歴史。
弁慶硯の井戸の特徴
弁慶が写経に使った井戸水が汲める場所です。
大般若経を写経した歴史ある地であるとのことです。
保育園横の通路を入ったお寺の敷地内に位置します。
弁慶が写経する際に、使用した井戸水はここから汲んだそうです。
東京都下は府中市に有ります古刹「高安寺」。その中に有ります「弁慶覗の井戸」です。平安時代の終わりの年(鎌倉時代の元年)の元暦二年(1185年)、壇ノ浦にて平家を滅ぼした源氏。その際に平家方の平宗盛(平清盛の三男)を鎌倉に護送する事になり、源義経と弁慶が護送をしました。しかし…源義経は勝手に帝(朝廷)から検非違使の任命を受けたり、また勝手に官位も受けた為に、兄である源頼朝の怒りを買いました。頼朝の怒りは深く源義経と弁慶は鎌倉に入る事を許されず仕方なく京へと引き返します。その時に立ち寄ったのがここ高安寺でした。(旧名称は見性寺)義経は何とか兄頼朝の怒りを鎮める為に、赦免祈願として大般若経を書写したと伝わります。その滞在の際に、弁慶が清水を汲み取ったのが、高安寺の境内に残るこの古井戸と伝わります。井戸は、高安寺に入り墓地の中の道を通り抜けた所に有る、小さな神社の脇から下ります。一番奥です。源義経と弁慶が、この場所にいたのだなぁ…と考えると感慨深いですね。もうなんか歴史上の伝説の二人ですから。本当に同じ人間として存在したのかと不思議な気持ちになりますね。
保育園横の通路を入ったお寺の敷地内にあります。見学者専用の駐車場および駐車可能なスペースはありません。自転車やバイクは何とか停められますが、駐輪場としてのスペースはありません。近くに保育園があるので、通行時は要徐行または押して歩いた方がいいです。井戸のある場所への入場は自由ですが、夕方以降は暗くて勾配も急なので危ないです。
弁慶硯の井戸は、壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させた後、源頼朝の怒りにより鎌倉入りを許されなかった源義経・弁慶らが、当地で赦免祈願のため大般若経を写経した地であったといい、谷保村の安楽寺が所蔵する大般若経も当寺が所有していたもの(新編武蔵風土記稿)とのことです。とにかく、歴史を感じさせられる井戸です。
高安寺墓地前の参道を往くと秀郷稲荷大明神に出る。その脇の坂道を下りると、手つかずの雑木林の中に四阿と井戸がある。弁慶が赦免祈願のために大般若経を書き写した時に、この井戸の水を使ったと伝わります。弁慶といえば、京・五条大橋で義経と出会った折、長刀を持った怪力無双の僧侶といったイメージが強いが、書もたしなんだことをこの井戸が伝えています。頃は12世紀末、約850年前のことです。この井戸がその頃からあったことに感慨深いものが湧き、四阿でしばし腰掛けていました。静けさが身にしみます。稲荷脇の坂は木の根が張り出したりしています。来訪の際は充分に気を付けて下さい。
弁慶硯の井戸。
てらのなかにあります。
秀郷稲荷大明神の社の横を通って、木の根が入り組んだ階段状の不整地斜面を降りると、井戸と四阿が現れます。何となく栄枯盛衰を感じるような場所でした。
高安寺保育園正面の雑木林の中にあり、秀郷稲荷大明神の脇から降りられる。井戸に降りる道が急傾斜なので注意が必要。井戸自体は蓋がされており、説明板もないのでわざわざ見に行くほどではない。
| 名前 |
弁慶硯の井戸 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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歴史を感じるよね~