田道間守と橘の木、歴史が息づく。
田道間守と橘の木の特徴
垂仁天皇の忠臣、田道間守が殉死した場所です。
常世国から持ち帰った橘の木が象徴的です。
大和の昔話との深い関わりを感じる歴史的な史跡です。
新羅からの渡来人を祖先とする田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇90年、天皇の命により『非時香果(ときじくのかくのみ;橘とされる)』を求め、『常世国』に派遣されたが、9年後に天皇は崩御する。その翌年、苦労の末、『非時香果』を持って帰国したが、すでに天皇がなくなったことを聞き、たいそう嘆き悲しみ、天皇の陵近くで自害した。現在は菓子の神、あるいは菓祖とされ、垂仁天皇陵の堀の中にある小島が墓とされているが、考古学的な調査はされていない。また、対岸には菓祖神の石柱と遥拝所がある。この地に関わりを持つ緑友会により、橘が植えられている。
ときじくのかくのこのみ、これがそうなんだ。たまたま通りかかって発見❣️
垂仁天皇の忠臣、田道間守。彼が持ち帰った橘の木。その伝説を我々は信じるのみ。
地元の有志で頑張っておられる様子は微笑ましい☺️
ヤマトタチバナを植樹したと説明板に書いてあるけれど、ヤマトタチバナはウィキによると「日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。」ということは、田道間守が外国まで行って採ってきたのとは別種の橘を植えたということになる。あるいは、田道間守は外国まで行かずに日本のどこかから採ってきた? そうなるとなんかかぐや姫中の車持皇子の話みたいだ。せめて中国南部あたりの橘(あるかどうか知らないが)を植えるべきだったか、それともこんな余計な詮索をされないように説明板には単に橘と書いておけばよかったのかも。
垂任天皇の命で常世国から不老不死の「橘の木」を持ち帰ったのに、天皇の死を知って悲しみ殉死した田道間守が、その忠義を偲んで葬られました。その「橘」が植えられています。
『田道間守(たじまもり)と橘の木』。田道間守の遺徳を偲び、橘の木が植えられています。
名前 |
田道間守と橘の木 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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大和の昔話すぐ近くの陵で天皇さんと共に安らかにすごしておられます。