歴史を感じる大明神山の神社。
建市神社奥宮(旧地)の特徴
建市神社奥宮は大明神山に鎮座する歴史ある社です。
明治元年に社号が建市神社へ改号された経緯があります。
旧鎮座地の大明神山元宮は明治38年に再建されました。
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建市神社の奥宮で旧社地。「盗人」守護のお宮として有名だったらしい。
日本三代実録 元慶八年七月十五日癸酉 建市神。
名前 |
建市神社奥宮(旧地) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
2.0 |
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古くはここ大明神山の地に社号を建市大明神(御祭神:不明)と号して創建、明治元(1868)年3月に太政官達(太政官により公布された明治時代初期の法令)により社号を建市神社へ改号、同年火災による社殿焼失のため南方約1kmの集落地(市原市武士205)に鎮座する鹿嶋大明神(御祭神:武甕槌命)ヘ遷宮、その地が建市神社の現鎮座地となりますが、旧鎮座地の大明神山元宮(奥宮)は明治38(1905)年に再建されたことが大正5(1916)年発行の『市原郡誌』に記されています。建市大明神の創建及び御親祭説に関しては、景行天皇40(110)年に日本武尊が東国東征の折、大明神山の小高い塚(武士人見塚古墳)にて休息、土着民がこれを祀ったのがはじまりとされる日本武尊説と第49代・光仁天皇(709~782年)の創建とされる光仁天皇説の2つが伝承されます。しかしながら、両説の年代が全く異なることから、光仁天皇の再建が創建と伝わった可能性が有力視されます。境内には日宮大権現・金毘羅大権現・道祖神・妙正明神・山神社などの石祠が観察できます。北側と南側の両方からアプローチ可能ですが、クルマ1台がギリギリ通れる小径、両脇の枯れ枝に接触したり等多少クルマへのキズに覚悟が必要とされる悪路で、進入したら途中で転回ポイントが無く参拝後は反対側まで突き進むしかありません。