中臣鎌足の安らぎ、神社で感じる平和。
中臣神社(二之宮)の特徴
公園の広い敷地には、小さなお社が存在しています。
中臣氏の祖先神が祀られている神社です。
静かな環境で、落ち着いた雰囲気を楽しめます。
本殿を囲む赤い板垣と鳥居が印象的。
2023.8月 先祖に因縁のある刀つられてきました、旧石器時代から人が住んでいだ場所のようで、この地に立ったとき とても安定し落ち着いて平和な感覚を持ちました、きっと人かすむに良い場所なんだろうなと思いました、
公園の中にお社があります。立て札によると、山科神社の末社であり、醍醐天皇の御代からこの地にあるようです。以下、立て札にある由緒の転載です。二之宮(中臣神社)山科盆地は、中臣鎌足(藤原鎌足)で知られる中臣氏(後の藤原氏)の本拠地として古くから開発され、大津京や平安京の隣接地としても歴史的に大きな影響を与えた地域とされ、この一帯には「中臣遺跡」と呼ばれる後期旧石器時代(約二万五千年前)から縄文・弥生・古墳・平安時代を経て、室町時代に及ぶ大規模な集落遺跡がある。創建は、醍醐天皇が山科郷へ行幸の際、倉稲魂神が現れ、天皇と御誓約があったとされ、延喜三年(九〇三) の春に、勅命によって御分霊が勧請され、のちに中臣氏の祖神である天児屋根命を合祀した。「延喜三年癸亥、醍醐天皇行幸の御時、倉稲魂神、影向よわく、御誓約のことありし故に、御社造営ありけり」と言われている。二之宮は「中臣宮」「中臣神社」とも呼ばれ、山科神社の「末社」であって御旅所ともなっている。京都市。
公園のような広い敷地に ぽつんとお 小さな 社が建っている。 まさかこんなに小さな本殿とはびっくり。 かなり由緒があるようで、 この公園も単なる公園ではないようだ。
駒札によると中臣氏の祖先神は後に祀られたようですね。西に平安京、東に大津京、南は平城京と交通の要所に中臣氏は居たんですね。鎌足の相棒の天智天皇の山科陵も北にありますね。中臣遺跡を示す石柱は勧修寺小学校にもありました。
名前 |
中臣神社(二之宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-581-1724 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

中臣鎌足(藤原鎌足)の墓とされる稲荷神社です。稲荷山にある山科神社の末社となっています。私の先祖にあたるためお詣りにきました。せっかくなので祝詞を奏上させていただきました。この周辺一帯は「中臣遺跡」と呼ばれ後期旧石器時代から縄文時代(BC 25000〜BC 2300年)の遺跡、弥生時代から室町時代(BC 2300〜1573年)までの大規模な集落遺跡が発掘された場所です。今でも人々が暮らす合間に遺跡が点在しています。勧修小学校の前には竈門跡が残っていたり、征夷大将軍・坂上田村麻呂の墓があったりします。神社には、お稲荷さんで親しまれる倉稲魂命(ウカノミタマ)と、中臣一族の祖神・天児屋根命(アメノコヤネ)が祀ってあり和歌の石碑があります。あとたれて 光やはらく 西の山人のねがひを みつのともし火お稲荷さんが降臨した時に、醍醐天皇に詠まれたとされる和歌です。西の山は、山科神社がある稲荷山のことですね。お陰でうちの家紋の謎がひとつ解けました。左三つ巴紋は〝人の願いの火〟を表しているということが分かりました。通りで、山形県置賜地方の神仏習合系の皇太神社や出羽三山神社にも同じ紋が使われている訳です。瓦屋根には十六菊花紋が入ってます。木々には鳥達が巣を作っているようです。可愛い声がたくさん聞こえました。非常に綺麗に手入れしてある神社だと思います!